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カレンダーには祝日を示す赤い数字で「29」と書いてあるのに、わたしの会社は通常の出勤日。決算とは無関係な部署のひとたちには とても可哀想な日だけれど、わたしのいる部署は決算前だし、この日が休日となると、実際にはとても困る。世間の会社はお休みなので、外からの電話で作業が中断されることもなく、しごとはスイスイ。ただ、他社からの電話が皆無な代わりに、日本の祝日など知る由もない外国からの電話が多い。電話口で取りあえず、あの、トゥデイのジャパンはナショナルホリデーなんですけど、と答えるのだけど、そうすると「やぁ、それは知らなかったYO!でも丁度良かった、君が電話に出てくれて、ボクは最高に幸運のようだYO!」とか言って 以下自分の要求を延々と述べはじめ、まったく遠慮というものがない。一日中しごと。でも、さすがに今日は 行きも帰りも電車が空いていて良かったな。

せっかく、久々に終電帰りではなかったWRと、夕食の行き違い。WRが帰ってきたところ、すでにわたしはグースカと眠っていて、WRはセルフ炊飯をし、セルフ夕食を食したようであった。そして深夜0時くらいに、早目の就寝と洒落込んだようであった。グーグー眠りすぎていて、怒られたのを覚えている。WRは今、本業の多忙さ以外にも、色々面倒なしごとを抱えていて、ただでさえ脆弱な胃を、きりきりと痛めているようである。これはわたし個人に言えることだけれど、この半年くらい、こと家庭の中での行動規範は 他人への信頼に基づいた性善説的な感じになっていて、それで外界に対して、以前よりは心の余裕が出来ていたり何か出来るような気がしたりしていたけれども、一旦外に出ると、他者という存在はとてもシビアなもので、善い行いがかならず善いこととなって返ってくるわけでも何でもない。とは言え、物事を必要以上に恐れたり、距離を置くことほど愚かなこともないわけで、その辺りの微妙な見極め(バランスではなく、見極め)はとても難しいし、一種のスリルでもある。安穏とした暮らしも良いものだけど、身に沁みて何かを学ぶ実感はあまりないかもしれない。何かトラブルに見舞われて、遠巻きに眺める立ち位置を奪われ、それに直面せざるをえなくなってはじめて、ほんきで怒ったり泣いたり 安心できたりもする。ただし、喜怒哀楽が支離滅裂だったり、自分勝手だったり、視野狭窄だったり、他人に迷惑を掛けまくるようなみっともないのは凄くイヤだけど。わたしも胃が痛い。何も知らないねこは いつもニコニコ笑い顔で、人間のことを応援している。