GW休暇◆4日目

WRに起こしてもらって、早くに起床。今日は上野の美術館に行く予定。午後から天気が崩れる、との予報だったのに、既に早朝から外はしとしとと、雨。傘をさして出掛けた。

上野の駅は、いつ降り立っても、磁場が異常だと思う。歩いているひとの種類もうちの周りや普段の通勤風景とはかなり異質で、ひどく落ち着かない気分になる。朝食を食べていなかったので、バッグにあったカロリーメイトを齧りながら駅構内の通路を歩いていると、ひとかけら ポロリと崩れて 地面に落としてしまった。WRに「ア…落ちちゃった…」と訴えた瞬間、一羽の鳩が天から舞い降りてきて、ハイエナ然とした勢いでカロリーメイトの断片をついばみはじめた。美味しかったのか、ずっと、ずっと、無我夢中でついばんでいる。

その一部始終を目撃していたWRは「ユキン、素晴らしく善いことをしたね。あの鳩にしてみたら、たまたま通りかかっただけのこの場所で、まさかこんなラッキーなことが……何の努力も無しにこんなご馳走に遭遇できるとは……鳩の一生で 今日以上にラッキーな日は、もう二度と訪れないね。ほんとうに善いことをしたよ。」としみじみと頷きながら語るので、歩き食べしたことを叱られるかと思ったけれども、えっへんという気分になった。しかし あの鳩、人間の食べ物の中でも最もカロリーとうま味が豊富に詰まったあんな食べ物を口にしてしまって、後はもう一生、何を食べても「味がない」と感じるのではなかろうか。それくらい、ジャンキーのような貪り方をしていた。目がイッてた。

今日の目当ては、東京都美術館の企画展「日本の美術館名品展」。国立西洋美術館のルーヴルは、午前10時の時点で入場まで60分待ちだかの長蛇の列だったけれど、公園のいちばん奥にある東京都美術館の方は、空いていた。ルーヴルと、日本の美術館名品展だったら、やっぱりお客さんがルーヴルに殺到するのはわかるけど。でも、わたしたちが見た方は、シャガールユトリロもミレーもゴッホもあったし、ピカソもあったし、後半は殆ど日本の画家だったけど、良かったと思う。「ポーリーヌ・V・オノの肖像」が好き。はじめてこの絵をみて好きになった。

そして 絵の傍に表示してある解説文が、ふつうの展示会なら作家と作品の解説なのに、「日本の美術館名品展」では 絵そのものの解説はまったくなくて、所有の美術館のひとたちが 盛んに自分の美術館のアピールをしていたので面白かった。地方の美術館は、大都市の美術館のように、潤沢にコレクション資金があるわけではないので、どうしてもニッチな方向性で独自性を模索せざるを得ず、そういう苦心の末にしぜんに形成されてしまった謎のオリジナリティや意味のわからない誇りが、非常に面白いと思う。地方の県立美術館や市立美術館の近くに居住する学生などは 遠足とか課外研修の一環で地域の美術館に足を運ぶことも多いと思うけど、たまたまそこのコレクションが「ベルギーの17世紀の作家だけ」とか「無名の前衛アートだけ」と見事に偏っていたら、美術の教科書に載っている絵画とは大分趣きが違いすぎて、困惑するに違いない。しかし、日本一の過疎・島根県育ちのわたしに言わせると、情報のアンバランスによって育てられる感性も捨てたものではないよ、と思う。日本人画家では、藤田嗣治の「私の夢」がよい。絵画としてよいのではなく、ねこの絵として これはすごくよい。千円ポッキリの、額に入ったポストカードを購入。

絵を見たあと、おなかがペコペコだったので、美術館に付随したレストランに何気なく入ってみた。料理を運んできた初老のウエイターの皿を持つ手が、尋常ではなくぶるぶると震えていて、WRとふたりで戦慄する。吉田戦車のマンガとかで出てきてもおかしくないほどの震え方であった。WRもわたしも そういう部分に限っては繊細なので、一気に食欲減退、さらには食後見事におなかを壊す。

上野を後にして、次は日々谷で映画でも観ようとしていたけれど、連休中 はじめての雨の日のせいか、映画のチケットは完売寸前だった。あきらめて家に帰ることにする。帰宅後も、昼間の上野で観た悪夢的な風景が脳裏を過ぎり、ぐったりとした疲れを感じる。WRは 突如ゲームにはまり、夜中中、ファイナルファンタジーとやらに没入している。しかし、我が家にはプレイステーションだとかニンテンドーとか、一切のゲーム機が存在しない為、彼はケータイに搭載された無料コンテンツで何時間もロールプレイし続けているのだ。電器屋の店頭に、ファミコンをしに通う小学生男子を思い出させる。かわいそうだ。かわいそうだけど、うちにはゲームなどまったく必要ない。久々の休みなので、ケータイでのゲームくらいは、大目に見てあげたけれども。