GW休暇◆5日目

無情にもゴールデンウィーク最終日となる。WRは既に今日から(午前中だけだけど)休日出勤が再開。連休なんて、何日あってもめくるめく過ぎ去る。こども時代と大学時代の、あの長い長い夏休みも、どれだけ長いと思っても今やすべてが過ぎ去った後なので、おとなに与えられた連休など そもそも風前の灯に過ぎないのだが。

今日は 午前中で仕事を終える予定のWRと、母の日の贈り物を買いにいく予定。朝、出勤前のWRをお見送りする為に起床して、そのまま二度寝すると確実に午後の待ち合わせに間に合わなくなりそうだったので、指で両目をイッパイに押し広げて、眠らないようにして起きていた。待ち合わせの時間より、早く街に出る。母の日と言えば、こどもの頃の嫌な思い出が甦る。小学生だったある年のこと、貯めていたお小遣いで、ともだちと一緒に母に贈るプレゼントを買いに行った。当日 喜んでくれるかな、とドキドキしながら母にプレゼントを渡したら、箱を開けて中身を見るなり「あなたのお小遣いは あなたが自分のものを買うために渡してあるのよ。こんなものを買うために渡してるんじゃない。ママはこんなもの、要らない!」と母は激高して、プレゼントをゴミ箱に投げ捨てたのだ。信じられないと思うけど、これはほんとうのこと。それまで、ともだちと子供同士で買い物に行くことや、お小遣いの使い途についてうるさく言われたことはなかったので、多分 丁度浮気ばかりの父との夫婦関係に悩んで、ヒステリーだった時期だったのだと思う。翌日、ゴミに出されたとばかり思っていたプレゼントを身につけて「きのうは悪いママでごめんね。お小遣いで素敵なプレゼントを選んでくれた やさしい雪ちゃん ありがとう。こどもたちのなかでもママのことをこんなに思ってくれているのは雪ちゃんだけだわ。」と、昨日とは声色も顔つきもまったく違う様子でヒシと抱きしめられたことを憶えている。母は 学生時代は随分賢いひとだったようだが、愚かな父と結婚したせいで わたしが小さかった頃は挙動がおかしかった。次の年からは、母の日には何も贈らなくなった。そうすると、プレゼントをゴミ箱に捨てた年のことなどすっかり忘れたように、「お隣のNちゃんのおうちは、姉妹で一緒に花屋に行って、ママにカーネーション買って来たんだって。うちは3人もこどもがいるのに、カーネーション1本だって嬉しいのに、誰もそんなことしてくれないわね。」などとこぼすのであった。こうやって記述するとあまりにも酷い母親のようだけど、食事もおやつもいつも美味しいものを手作りしてくれたし、勉強もピアノも褒めてくれたし応援してくれたし、過保護なくらいにこどものことを考えていて、優しい母だった。優しい母が、ストレスに駆られて泣いたり喚いたり、幼稚で辛辣な嫌味を言ったりすることが、恐ろしいのだった。今なら、自分の結婚相手に対する欲求不満とそこから派生する狂気のような種類のものが、身近で弱い存在に向かっていたことがよくわかるけれども。高校生になったとき、母の日の出来事を母に話してみたら「ママが、そんなことするわけないじゃない!雪ちゃんがくれたものを捨てるなんて、そんなこと ママにできるわけがない!」と一笑に付された。少なくともわたしには、忘れられるわけがない。母のせい、というのは、わたしが育った環境下では、とどのつまりは父のせいということだ。今でも人間の子供時代と結婚生活は おぞましいものでしかないと考えている。それらは両輪のように、こっちが回ればあっちも回るといった具合に、半永久的に悪いほう、悪いほうへと支えあっている。

新宿でWRからの電話を待っているあいだに、珍しく衝動買いをしてしまった。伊勢丹でイチゴ模様のハンカチを色違いで3枚と、アリスのバッグ。一昨日は 書店でアリスのTシャツを買い、昨日は上野のミュージアムショップでアリスのトランプを買った。そして今日はアリスのバッグ。これは現実逃避だろうか。でもアリスって 不思議の国のアリスというよりルイスキャロルの存在自身が、まずは圧倒的に変態でおとぎっぽい、と言わざるをえないのだけれども。

わたしのバッグはこれの色違いで ピンク ディズニー嫌いなのについうっかりと

これもアリス おかっぱ髪

もひとつアリス ぜんぶ かおが ちがう

仕事を終えたWRと新宿駅前で落ち合って、結局両家の母には 輸入パスタソースやら何やらの高級食材セットを贈った。まるでお中元のよう。メッセージカードも忘れずに封入。WRとわたしの母だけあって、もちろんねこが好き、というか こどもたちも見事に巣立って、彼女たちはもはやねこしか好きじゃないので、いかにもヨーロッパ人が描いたようなタッチの、しかし造形は折り紙的な方式で無駄に立体的な ねこのメッセージカードに「いつもありがとう」「これからもよろしく」など、当たり障りのない文言を記入。実親でさえ一年に一度会うかどうかの関係なので「いつもありがとう」もないのだけど、こういう場合はそれ以外書きようがない。新宿近辺のスタイリッシュな場所は 何処へ行ってもゲイカップルが散見される。素敵なティーラウンジで、ランニング姿の筋肉がすごい男カップルが、パフェ的なものをおくちアーン、とやりながら食べさせあっている。今自分がいる場所は、おそらく 世界でも有数の訳のわからない場所ではないかと感じた。大雨の中、書店に寄りたくてたまらないWRを説得して、家に帰った。WRは 夜も家でしごと。わたしはその横でネットの人生相談を延々と読み耽ったり(これはいつも止まらなくなる)、葱を刻んで蕎麦を茹でたり。

夜中 色々と悲しくなって、自分の分の枕と毛布とねこ人形を持って、廊下へ逃避。廊下といっても、そこに毛布を敷いて横になると、玄関とトイレとバスルームのすべてに密着できるような、ただの通り道としてそこにあるような、狭くて短い空間。悲しいときは ひとりで眠りたいと思う。板一枚を隔てると 殆ど地面と変わらないかたい床に背骨をごつごつぶつけながら、夢も見ないで熟睡していた。