葬儀 見知らぬひと

木曜日。明日の午前の〆切原稿を控えているので、朝の電車の中で一日のタイムスケジュールを頭の中でぼんやりとイメージしながら出社したところ、朝9時出社時点ですべてが脆くも崩れ去った。

部署の55歳 課長のお父様が亡くなったらしい。

以降は 訃報の文書を作成して、社内や取引先に通達したり、本人に代わって人事部に提出する、お見舞い金申し込みの書類を書いたり、社長の名前と部長の名前でお花と弔電の手配、電話注文とはいっても、実物が見られないため社長名義のお花と部長名義のお花の格の違いの付け方で、花の代理店と何度も調整が必要で、また葬儀や告別式は遠方なので、現地の支社長に代理出席をお願いしたり、部内有志にお香典について相談したり、この日はたまたま部署内のこういった雑務の責任者であるぶら下がり社員が有休取得中だったというタイミングの問題もあり、会社関係の事務処理の何もかもをわたしが一手に引き受ける羽目になり、6時間か7時間、昼食にもトイレにも行けずに葬儀関係に翻弄された。

亡くなった課長のお父様は、享年92歳だという。ひとりの人間が92年も生きてきたのだから、その終りの日の半日くらい、わたしが忙殺されても全然構わないのだけど、この92歳は、自分の死後 自分の息子(55歳課長)が大忙しで片を付けてくれることは勿論想像できたことであろうけど、まさか、会ったこともないどころか一度も存在を認識したことがない、息子の会社で下働きをしている女が、〆切が迫る原稿に手をつける暇もなく、事後処理に翻弄されまくったことなど、いっさい知る術もないのだ、と考えると、死ぬということがほんとうに不思議でたまらない.。そのひとは92年間も生きてきたのに、お亡くなりになった瞬間に はじめて“関与した”ことの不思議を思う。「生きてこそ」という題名の映画があるけど(観たことはない)、この場合はまさしく すべてが「死んでこそ」というわけだ。

家に帰って、WRに「今日は半日以上、上司のお父さんの訃報に拘束されたよ」と報告すると、「ゆきんこが半日 自分のしごとを投げ打って いっしょうけんめいにがんばったから、その92歳はさっき無事天国に行けたよ」と あたかも自分が天使であるかのように、業務報告らしき言葉を述べていた。そして 死後の世界は、天国と地獄だけではなくて、その中間には 中国という場所があるのだという。世の中の大半は 良いひとでも悪いひとでもなく普通のひとなので、中国は爆発的に人口(故人口)が多く、にんげん(故人)がひしめき合っているのだという。それから、天国でも中国でも地獄でもない、自由に独立した冥途として、米国というゾーンもあるらしい。「米国なんていうからには、その場所は さぞかし稲作が盛んで、人々は美味しいお米を食べて暮らしているのでしょうね」と口にすると、意外にも米国とお米は 何の関連性もないとのことで、それどころか かえってハンバーガーやコーラなどが好んで食されているらしい。今時は 死後の世界も、天国と地獄だけで用が済むほど画一的ではないのだろう。結局、一日かけて仕上げようと思っていた原稿に取り掛かれたのは 夕方の5時。残業をして、なんとか体裁だけは整えたけれど。

わたしの悩みは 人間の三大欲求が 何一つまともにできないことです。深く思い悩むことはないけれど、本能的に「おまえは生きるな」という抑止信号だと思う。本能的に。もうこれ以上、眺めたり見たり、その挙句に助言をされたり邪魔をされたり成果を挙げて喜ばれたり褒められたりも、したくはないのだ。率直な気持ちが、どんどん減って揮発していく。