ブラックホール

相変わらず しごとのことを 悶々と思い悩み中。

地図を眺めているときみたいに、中心軸をスライドさせると、アニメーションみたいに景色が変わる。地図の上にも(空想の地図であれ、何であれ)昼の世界と夜の世界が あって、季節変更線も あって、時期によって 地表の起伏も山の稜線も 僅かずつ 形を変えていくのであって、突き立てられたピンを僅かに別の場所に移動させるだけで、もう、わたしを取り囲む常識も、価値も、共有言語も、何もかもが様変わりするのだ。ピンをずらし、画面が切り替われば、きれいさっぱり消滅する。自分がもう一度其処に戻れば、きっと世界は元通りにくっきりと召還される。けれど、軸をずらして ずらして、後戻りのやり方しか「わからないくらいに更新しつづけることだって できる。模索するとも言えるし、逃亡しているとも言えるし、だから自由なのか呪縛なのかはわからないけど、どうにだってできる。白昼も 真夜中も「もっとこの地図が大きければ、自分は零れ落ちずに済むのに」と 無意識に恨みがましく考えているだけなのかもしれない。

WRは今日も帰りが遅いと言って、だからわたしは今夜は誰かと一緒に夕食をとりたいと 考え、しかしそれは不慣れな相手ではダメで、よく慣れた友紀ちゃんに連絡をすると仕事のイベント準備があるから難しい、また行こうね、と断られ、それならと思って、猛烈な勢いで真っ直ぐ帰宅して適当すぎる夕飯を急いで食べて、さてあとはゆっくり本でも読もうとパジャマになる支度をしているところでWRから やっぱり今日はこれから帰れそうだから、一緒に夕食たべよう、というメールが届いたので、一刻もはやく今日一日を終焉させようと思って色々と猛烈なスピードで片付けてしまったことを後悔したけどもう遅かった。

でもそうだ、今日のランチは珍しく別の部署のSMさんと一緒に食べた。食事代わりになるメニューが 薄いサンドイッチしかない為に、会社のひとが 殆ど来ない、イタリア風のカフェで、中途半端入社の不遇や不満を、お互いに情報交換して分かち合う。共感は 大きな救済になるが、こどもではないので、幾らある問題点について共感し合ったところで、意思することや決定は、自分の内側にしかないことを知っている。会話すればするほど堂々巡りにしかならないタイプの物事もあるし、おとなになって 自分と他者の境界が勘違いしようもないほど明瞭になるにつれ、そういうタイプの物事を膨大に抱えることになる。

今週は、一週間が かつてないほどに冗長。何もかもが終わらない。終わりそうにない。