新宿と歩行

朝 WRが「今夜 ジュンク堂に行く」と行ったので、仕事帰りに新宿で待ち合わせをし、一緒に書店を巡回する。その前に、定時で会社を退出したわたしは 待ち合わせまで1時間以上時間を潰す必要があったので、てきとうに目についた服屋に入り、ちょっとした散財をしてしまった。すると レジでクレジットカードを差し出した直後に、携帯が鳴り、それはWRからで彼は電話口で「もう着いて、すでに本屋の中にいる」などというのだ。さっきメールで連絡がきた時間よりも、30分以上も早く到着している。WRのせいではないのだけど、わたしが買い物をしたのは単に時間を埋めるためであったので「こんなもの、買わなければ良かった…」と、そのときまさしく きれいに折りたたまれて、紙袋に収納されようとしている布の束を眺めながら はっきりと強い後悔を覚えた。

書店にて わたしもWRも ひつような本を1冊ずつ購入する。メディア戦略だから嘘だって最初からわかってたけど「何処にも売ってない」と報じられていた「1Q89 BOOK1」は、表紙と同じ新潮社の巨大ポスターの下に、やっぱり ちゃんと平積みされてた。大体「本」みたいに 複製以外の製造方法がないものが、品切れになんてなるわけがない。ピアノやバイオリンとは違う。世界中でベストセラーが見込まれてるなら、世界の全員分 残さず配布できるように、刷って刷って 刷りまくってくれたまえ。

書店を後にしたあとは、新宿におけるわたしたちの食卓、つばめグリルで夕食をとり、電車に乗って町に帰る。食後の読書を愉しむ為に、家までの帰り道にある、とても雰囲気の良い喫茶店に入ったところ、隣のテーブルにいた先客の喋り方や声のトーンが、とても黙殺できないくらいに自己主張のつよすぎるものだったので、運ばれてきたアイスコーヒーをストローでつつつ、と吸い込んですぐにお店を後にした。最近は 読書は家でするのがいちばんいいと思っている。自分の意思で 本を携えて外に出た以上、外界の喧騒に対して決して注文なんてつけられないし、文庫本が2冊は買えてしまう値段で買っている環境の割に、その環境自体に不確定要素やリスクが多すぎる。本を持って街を彷徨っている時間があったら、ベッドのいつもの場所で パジャマ姿でねっころがって本を読みたい。

ああ でも 暑い夏の日の夜に飲む、水出しアイスコーヒーの美味しさは、やはりある種の格調を持った喫茶店でなくては、絶対に堪能できないものだけど。此の頃の街には、まるで女みたいに、鳥みたいに喧しく喋る男が多い。

なんだか良くないことばかり書いてるようだけど、今日は ずっと図書館で読むばかりで個人所有していなかった本を、10年越しでついに買うことが出来て良かったし、つばめハンバーグにも並ばないで入れたし、ニース風サラダも銀ホイル入りのハンバーグも、いつも通りに美味しかった。読みかけの本も面白いし、これから読みたい本も 面白いと既にわかっているものばかり。髪の毛は今日もサラサラだし、家に帰ると かわいいともだちが3人も待ってる。まるみのブログを読むのもたのしい。WRと文豪の話や、カリスマミュージシャンの話をするのは いつもおなかがよじれるほど面白いし、日常会話を ロシア文学調に行なうという楽しみもある。恒常的な幸福は何一つ失われていないよ。平穏で平和な6月。