紫陽花が咲く日

出社するや否や部長から「昨日ゴルフに行ったときに右脹脛が肉離れして歩けない。午前中病院行ってきます」と連絡が来たのだけど、その30分後に会長から直接部長席に着信があり、会長から秘書を通さず直接電話が来るということは、それは悪い意味での緊急事態以外ぜったいにありえないことなので、慌てて部長の携帯に通報したところ、病院の待合室にいたはずの部長が、僅か20分後、肉離れで死んだ右脹脛を重たい荷物のように引っ張りながら左足だけで地面を這うようにして出勤してきた。月曜の朝なのに、あたかも戦禍を逃れた帰還兵のよう。なんというビジネスマン根性。

電車の車窓が、ちょうど今 紫陽花通りになっている。8月でも12月でもなく、赤でも黄色でもなく、毎年 かならず雨の6月に紫色の花を咲かせる。自分が 6月に似合うことを 知っているのだろうか?紫陽花とは何の関係もないけど、24歳で死んだ男の顔が何故か浮かんだ。濃い緑の生垣にぼわんと浮かぶ、雨粒に濡れた紫色が、泣いているひとの顔のようでもあるし、清清しく瑞々しい、この世ではない世界の入口のようでもある。ガラス窓の雨粒を散らして、電車が紫陽花通りを駆け抜ける。どれもこれも、6月にしかありえない、この通りの紫陽花は 今日から一斉に咲いたのだろうか?

WRはしごとの繁忙期が終わり、これから半年間は勉学に励む日々。わたしは自分のしごとと、家事と、こどもたちのお世話と、書き物をがんばる(ことになっている)。帰宅したら、なんだか田舎の山奥の家みたいに、部屋の中が蒸し暑さで 鬱蒼と苔むしていて、首や胸元が急に汗ばんでくる。まるみちゃんは 今日も同じうたを歌い続ける。ねんねこは それに合いの手をいれ、ねこんこは 尊敬の顔でそれに聴き入る。

WRが ドラえもんの17巻と19巻を お土産に買って帰ってきてくれた。勿論てんとう虫コミックスのやつ。現在わたしの家にはドラえもんが1冊もないので、唐突に17巻と19巻を選んだ理由を訊ねたところ「さいこうの充実期は この辺りだから」との答え。小学生の頃、同級生のフクマクンの家には「ドラえもんが全巻揃っている」ことで有名で、なんというか それが豊かさと富の象徴のような気がしていたのだった。おとなになった今、これが1冊400円程で手にいれられるなんて、まるでお菓子を買うみたいに とてつもなく安い。それでもあのとき富豪だったフクマクンに感じた贅沢な何かは不思議とちっとも薄れないけれど。フジコフジオ漫画の唯一にして最大の致命的な欠陥を云うと、登場する女の子の趣味が悪すぎる。しずかちゃん嫌い。エスパー魔美も、マキシムの乞食の場面以外、わたしは全然好きじゃない。基本的にはみんな 男側に都合の良い配分で理想化された頭カラッポのうすのろスイーツという感じだし、スイーツの割に、顔が全然可愛くないから。ドラえもんは擬音がさいこう。

ドラえもん (17) (てんとう虫コミックス)

ドラえもん (17) (てんとう虫コミックス)

ドラえもん (19) (てんとう虫コミックス)

ドラえもん (19) (てんとう虫コミックス)