あこがれられない

しごとでは 面倒なことが色々。上司からあたらしいしごとを任されて、黙ってそれに取り組んでいると 端から聞いていた女性陣から速攻でこんなメールが飛んでくる。

「それ 本来 雪さんがやる範囲のしごとじゃないのに、押し付けるなんてあの上司 ひどいね!まだ2年目の雪さんに任せるなんてかわいそうだしありえないって、雪さんの立場じゃ言いにくいだろうから、私の方から言ってあげようか?」

わたしの能力を評価するのは上司であって、君達ではない。しかし、悪い冗談のようだけど、真剣に親切な顔をしてこんなメールを送ってくるのだ。わたしは返事しない。すると、10分後には『アラ もしかしたら機嫌を損ねてしまったかしら?』とでも思うのだろうか、まったく無関係でどうでもよい しごと上の質問などを持ちかけてきて、ご機嫌伺いを してくるのだ。こんなことのほかにも一部の女の世界には 奇妙な気遣い、奇妙なお節介、奇妙なお世辞の応酬で満ち溢れている。これらはすべて、自己主張が姿を変えたものに過ぎない。彼女たちは言葉を反射鏡に映して、投げたものが自分に返ってくるように微調整するのに余念がない。わたしは バカじゃない?って、まっすぐ目をみて ただ云いたい。

SMさんと同じ電車で帰宅して、夜は歯医者。待合室で開いたファッション雑誌でまたひとつへんなインタビュー記事を見つけてしまって、ああ 自分が誰と友達だとか 憧れるとか 才能や言葉を まるで標本みたいに切って、貼って、また切って、切って貼られたものがそれぞれに身勝手に関与をはじめて、互いにそっと息を殺して比較し合って優劣をつけたり、誰にも優劣をつけられる以前に過剰な自意識により驕ったり卑屈になったり何かを喪失したりさえしはじめて、関係ないもの同士が網の目のように影響し合ったり影響されまいとしてほんとうはいない仮想の敵を創り出しては籠城したり無自覚な模倣に手を染めたり、それでまたそこから始める個々の事象に絶望したり安堵したり勝利をおさめたり、まるで終わりのないマトリョーシカが創出され、消滅するのが 絶えず同時多発的に行なわれつづけるみたいに、宇宙のいちばん端に、繋がる。誰の手にも触れようもないことになるから もうそれだけで虚しい。殆どのことについて 素直に欲しいと思ったり なりたいと思ったり 羨んだり できない。憧れられるようなことがない、唯一の憧れを諦めてしまって、もうどんなことにも憧れられない、このまま残りを進んでいくのは、結構苦しいことかもしれない。

歯医者の台の上には、うまれたときから変わらず青と茶色の硝子の小瓶が並んでいて、緑色があるときもある。何が入っているか知らない。青が劇薬で茶色がポカリの粉で、緑は多分 星の砂。歯と歯の間をひっかける、フック船長の右手のような銀色の鉤。歯医者はそれを指先にぶら下げているので、わたしは絶対に逆らってはならない。逆らわない。WRは歯科治療が終わるのを ドーナツ屋で「白痴」を読みながら待っていてくれた。外で夕食を食べて家に帰る。WRは今夜も2時間半のビデオ学習。ニート、虫取り少年、お腹を下す、等等 WRに似合うものは世の中に色々あるけれども、ヘッドフォンをつけた“ビデオ学習”もまた、この上もなくWRによく似合う。彼の為に考案された方式だと言っても過言でないほど よく似合っている。