こどもたちは 海に 棲める

美容院に行きたかったけど、担当者は予約でいっぱい。睫毛に触れる前髪のせいで、視界が狭い。まるで エミリー・ザ・ストレンジだ。土曜こそ 前髪切りに行く。

会社は株主総会の時期。役員や基幹職以外はいつものオフィスでおるすばんなので、偉いひとやうるさいひとが殆ど出払ってしまっているから、ここぞとばかりに代休や有休をとるひとも多いし、私のように 残って通常業務を行う者たちも、のんびりと自由を謳歌している。こどもの頃、親の会社も株主総会をやっていたので、その夜だけは専業主婦の母親も家を空けて、こどもだけで おるすばんを していた。ああ その夜のおるすばんは 確かに6月の終わりだった、母はこの日だけはまるで参観日のような上下揃いのスーツを着て、真珠のアクセサリーをつけ、父と一緒に迎えの車に乗って出掛けて行った。

かぶぬしそうかいは、こどもを置き去りにして出掛けなくてはならないくらい 大事なことなので、わたしは まだこどもだったけど、かぶぬしそうかいについては こどもの中ではかなり色々と想像を巡らしたほうだと思う。結局、幼心に大体こういうものだろう、とわたしが決めたのは、「大きなかぶ」の絵本の中でひっこぬかれた とてつもなく大きなカブを取り囲んで、所有者は誰かを話し合うような会だろうということだった。会というより、参加者は正装をして厳かに審議が進んでいくので、裁判に より近い雰囲気のもの。おとなになった今でも、やはり株主総会は るすばんを している。だから株主総会と聞くと どうしても、社長も部長も、巨大なカブを囲んで会談しているイメージしか浮かばない。6月で、雨で、瑞々しいカブの葉に 雨粒が時々きらりと光る。

長かった先週に比べて、今週は驚くほど一週間の速度がはやいと感じる。もう水曜日。明日はもう木曜で、明後日になるともう金曜日だ。人生なんて 瞬きと同じくらいに、はやい。すぐ30になり あっという間に40になり、すぐにまた50になり、60が迫ってくるのだろう。死なない限りは。ようやくそういうことが 身に沁みてわかりはじめてきた。若いひとで 死にたいと考えたりするひとは 沢山いるのだろうけど、そう遠くない将来、死は確実にやってくる、という事実を現実的に肌身に感じると、何もわざわざ今手間暇かけて死ぬことはないなーと、わたしなんかは特につよく思ってしまう。それは ただの 可能性の問題。

海に行きたい。出雲から車で見にいく海はいいよ。人気がなくて、快活な猟師の姿さえ なくて、垢抜けなくて、灰色の幕が下りたように 空がどこまでも低く 曇っていて、風向きによって 波が静かな日も荒々しい日もある。巨大なテトラポットがある。この海を渡りきったら世界が終わるような 寂しさがある。目にしみるような潮の匂い。あんなに銀色の満員電車の中も、白い壁紙のきれいなオフィスも、ケーブルだらけの地下音楽室も、ぜんぶ遠い異国の出来事になる。瞼の裏の海をほんとうに見たい。


きらきらの小魚 魚の体は どんなに太陽にかざして干しても 海の匂いがいつまでもとれない