繰り返される

1月か2月に代官山のmilkfedで購入して、以来 何故か一度も箱から出さないで放置していた パステルピンクのエナメルのハイヒールのことを、朝 ふと思い出したので、はじめて箱から出して会社に履いていった。帰る頃、やっぱり足が死ぬほど痛い。ハイヒールのほっそりしたトウが わたしの幅広の足指のホネをギュウギュウに圧迫して、もう、気が狂いそうなほど痛い。あたらしいヒールをおろしたとき、わたしはきまって同じような日記を書いてる!足が痛い 足が痛い 足が痛い 足が激痛 もう痛いなんてものじゃない、まるで砂利の上を裸足で歩いているかのよう。通勤の帰路、わたしはイヤホンを耳に嵌めて電車の窓の外をツンとして見つめている。わたしは表情には微塵も出さないでいるけど(気取っているわけではなくて、そんな素振りを見せてもぜったいにどうにもならないから)、ほんとうは音楽なんてひとつも聴こえないし、車窓の景色も眼に入らない。痛い、痛い痛い痛い ただ靴に包まれた足が、焼けるように痛むだけ。

夕食作りの為に スーパーマーケットに寄って帰ろうと思っていたけど、とてもじゃないけど考えられない。この足でスーパーの中をうろつき回り、重たいビニール袋を提げて帰るなんて。駅前のスーパーに また戻ってくる徒労を心底憎みながら、とりあえず素通りして家に向かう。大通りを曲がり、わたしの薄汚いマンションが建っている最後の路地に着いたところで、もう裸足になって靴を持って帰ろうか、とさえ考えたけれど、それでもさいごの理性を振り絞って玄関の前まで歩いてきた。バッグから、鍵を出す数秒や、鍵を鍵穴にさして回す その数秒間でさえ、激痛は存在を主張し続け、狂いそうなほど痛い。玄関に入って、バッグを床に棄てて汗ばんだハイヒールを片方ずつ脱ぎすてたら、途端に足の地獄が消滅して、かと言って天国でもない、ただの無痛状態になった。気が抜ける。左側のくるぶしの内側が、靴で擦り切れて見事に皮膚が剥けてひりひりとした。血は出ていない。可愛いけど人騒がせな靴。人騒がせどころか、充分 殺傷能力がある。

靴を脱ぎ捨てたらげんきになったので、履きなれたサンダルを履いて、さっき通り過ぎたスーパーに戻ってお買い物。ブタニクとヤサイとタマゴとクロワッサン。わたしは毎日決まったものを買って、決まったものを食べていたい。家はレストランではないし、わたしはシェフじゃないから。決まったものを買って、決まったものを食べて、そのあと少し休息をして、さらに余る時間があれば、ということ。生活に創意工夫は不要で、単に生活の時間を短縮すべきだ、わたしたちの場合は。

郵便受けに、宅配もやっているカレーチェーンのメニュー表が入っていたので、WRと まるみちゃんと ねこんこと ねんねこで、外食にいったつもりで メニューを選んで遊ぶ。まるみちゃんは「うずらたまごフライカレー」、ねんねこちゃんは「お子さまカレー」などなど。そしてWRは今夜も勉強に励む。わたしはベッドにうつ伏せになって、講談社文芸文庫の「ゴットハルト鉄道」を読む。自分は やはりドイツ的な小説が好きだと思う。迂闊な現代小説きらい。アメリカきらい。


今の夢は、会社をやめること。会社をやめて 働きまくって 自由と豊かさを手に入れたい。

ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)

ゴットハルト鉄道 (講談社文芸文庫)