ゆきゆきて上石神井

午前中のうちに都議選の投票を済ませ、午後はWRの親戚宅を訪問する。選挙については 自分はこの党に投票するだろうな、というのはなんとなく頭で決めていたけど、いざ 真っ白い投票用紙を渡されてはじめて「その党の誰」に投票するかは、まったく考えていなかった自分に気づく。投票を終えたあと、WRと誰に入れたか教えっこすると、WRはわたしが入れた議員の名を聞いて「ああ、そのひとの名前 一年中 街中に貼りまくられてるもんね」と言う。そういえばそうだ。このひとの名前は、ほんとうに街中の空白という空白に、“神経症は君だけじゃない!”とか“ピースボート 世界一周船の旅”とかと一緒に 貼り巡らされている。サブリミナル効果だ。わたしが行ったのは、純粋な意味での投票とは真反対の 単なるサブリミナル効果だった!

この日訪れることになっているのは、WRの母の兄の家。14時訪問予定の為、お昼前に家を出たけど、WRと口喧嘩ばかりで道中気分はさいあくであった。


とりあえず、現地に赴く前に 新宿のデパで 何か手土産を買って行く予定であった。WRは駅に近い小田急か京王のデパ地下でいいじゃん、などと言い、わたしは いやいやちょっと待て、手土産ならばせめてやっぱり伊勢丹とかで買わないと、と言い、伊勢丹に向かうことになったのまでは良かったのだけどWRは電車の中で「ようかんとか買おう」と 夢を膨らませているのだ。ハ?ようかん?星の数ほどお土産がある 20xx年代において ようかんなんて買うつもりなの?田舎住まいの80歳のご老人へのお土産でもあるまいし、なんでわざわざ 今此処で既にようかん買うなんて決めちゃってるの?!と 瞠目して騒ぎ立てると、WRが若干キレはじめ、ようかん買おうって言ったくらいでなんでそこまで責め立てられなきゃいけないの、雪んこ ようかんバカにしすぎ、オレのことバカにしすぎ、とブツクサ言い始めたので、わたしが 別にまったく責めてないっつの、但し こんなクソ暑い真夏にようかんなんてありえない、砂糖が貴重だった戦後でもあるまいし ようかんなんて断じてありえないっていうだけ、と更に言ったら、完全に険悪なムードになった。だいいちわたしが伊勢丹に行こうと言った理由だって これっぽっちも理解されてない、ようかんを買うのだったら 小田急デパでも充分じゃないの、まったく・・・そうこうしているうちに 伊勢丹デパに到着し、わたしたちは入口に近い側にあった洋菓子売場を一巡、ねぇねぇどれにする?と WRに話しかけようとしたところ、WRは「和菓子屋コーナーは この奥だよね」とか言って ようかん目指して突き進んで行った。雪んこは ようかんバカにしてたけど、オレが買おうとしてたのは水ようかんだった、これなら甘すぎないし夏の贈答品としては最適ではないか、などとのたまう。ようかんでも 水ようかんでも、わたしが言いたかったのは、せっかく買うなら わたしたちも選ぶのが楽しいような 自分では買わないけど貰うと嬉しいステキなお菓子を差し上げることで、年配者だからようかんだとか 夏だから水ようかんだとか そういうことではなかった。「やっぱり虎屋がいいよね。さぁ、雪んこも一緒に どの水ようかんにするか 選ぼう!」って誘われたけど、わたしは「水ようかんにするって決めてるなら 自分で決めたら・・?ここで待ってる」と言って ガラスケースから離れた場所で ぼーっと待ってた。WRは最も一般的な 昔 実家にお中元で山のように届いていて母が「もう、揖保の糸と水ようかんばっかり…。冬まで食べ続けても、とても食べきれない」と嘆いていた まさにそのタイプの小さな缶に入った水ようかんを購入していた。となりには、野菜やフルーツの色素で色づけしたような赤や黄色や緑が涼しげな、スティック状の、ニューウェイヴ水ようかんみたいなやつもあったのに、よりによって いちばんトラディショナルなやつを選んでいる。


WRは「やぁ、無事買えたよ!水ようかん」と虎マークの紙袋をブラブラ提げて使命を果たした感を漂わせている。わたしは せっかく買うならもっとステキなものを選びたかった、これから会うひとは わたしは会ったことないひとたちなのに、手土産っていちばんセンスが問われる所なのに何で勝手に水ようかんなんて買っちゃらけっちゃらりぱっちゃうんだろう・・・あれほどようかんは嫌だと言ったのに・・・鬱だ・・・見栄を張りたいわけじゃなくて、単に若い女として ただのようかんなんて持っていきたくない・・・それに、50歳や55歳くらいの女性って若者が考えるほど年寄りじみてないものだし 目が肥えてる、だから丸の内オーエルに人気のスイ〜〜〜ツを 普通に選んだほうがぜったい無難なのに・・・自分だけ通勤着のまま結婚式に参列するような気分。持っていくお土産にまったく自信が持てないために、気分が暗くなる・・・WRはそんなわたしを見て「ふたりとも何処にでもいるただのおじさんとおばさんだから、土産なんて何だっていいの」なんて言うけど、手土産って、自分のセンスを誇示するものというより、初対面のひとたちに 少しでも前向きな気分で向き合う為に携えていくものではないの・・・だから 相手に喜ばれて、尚且つ手渡す自分にも勇気をくれる ステキなものを選ぶべきではないの・・・・・・?


ついに、もう、行きたくない。こんなバカみたいな水ようかんなんかブラブラブラ提げて、もう何処にも行きたくない。と癇癪を起こすと、WRは「じゃー、まだ時間あるし、この水ようかんはオレが家で食べるから、雪んこが 買いたいお土産を 買ったらいいよ!」と言ってくれたけど、もう そんな気力 残ってない。そのままとぼとぼ西武新宿線に乗って、上石神井を目指した。西武新宿線も わたしの気分を落ち込ませる。学生時代 地方から来ている同級生は、この沿線にアパートを借りていることが多かった。彼らの部屋に遊びに行くとき、わたしも何度もこの路線に乗った。車両は昔みたいにオンボロではなく、とても清潔で最新型だったけど、乗っているひとが 全員狂人であるのは相変わらずだった。マンガを読んでいる大人の比率がべらぼうに高いし、座席を3人分占有して、鞄の中身を撒き散らしている男もいる。ちぎれた競馬新聞が床に散乱している。


WRの伯父さん伯母さんの家は 小高い丘の上にあって、小じんまりと日当たりがよく清潔だった。冷たい麦茶、ケーキと珈琲、温かい緑茶と、1時間ほどしかいなかったのに、次々とお茶が出てきて驚いた。ふたりは何処で知り合ったの?とか 生まれはどちら?とか ご実家のご家族は?とか どこの会社にお勤めなの?とか 色々なことを訊かれるかと思っていたけど、いっさい 何も 訊ねられず、名前も呼ばれず(最初に名乗ったけど絶対に覚えてないし そもそも覚える気なんてないと思う)、伯父さんがWRに世界経済の話をしていた。それからWRのイトコにあたる、自分のこどもたちのこと。齢も名前も説明がないから、わたしには何もわからない。

WRの親族は、親族が集まると世界経済の話をする。わたしは一言も言葉を発さなかった。そもそも、伯父さんはWRにしか語りかけていないので、目を合わせてもくれないし、言葉を差し挟む余地などない。まぁ 興味がないのだろう。駅まで戻る帰り道、飲み物ばかりを口に運んで、世界経済の話に相槌をうっているWRの横で まったくの孤独だったさっきの時間を思い出して、涙が零れそうになった。初対面だから?他人だから?女だから?誰かを置き去りにして話をすすめていくこういう場に、わたしはまったく慣れていない。WRの妻のわたしが わたしではなく、「さとうゆめこ」や「よしだのぞみ」だったとしても、彼の会話の3秒分も1秒分でさえも わたしがどういう人間なのか反映されることなく、無関係なのだと思う。それとも 一目見て気にいらなかったから、黙殺され続けたのだろうか。太陽が 上石神井の空の頂上にあって、まるで真夏の真昼だ。木陰ひとつない道を 駅まで黙って歩いた。


昼食を食べ損ねていたので、帰宅して 早めに夕食の支度。昼間ずっとご機嫌斜めだったので、反省の意を込めてWRの大好きな「攻め肉(別名:ピーマンの肉詰め)」を 作成した。やっぱりこの料理の文学性は物凄い。つやつやに輝くピーマンの小舟に、みっちりと詰まった荒々しい肉の様子は、中世ヨーロッパのヴァイキングを彷彿とする。スカンジナヴィアの風。WRが 美味しいと言って、美味しそうに食べてくれた。