15 july.2010

平凡な平日の短い日だけど 大きな出来事が2つ あった。

昼間 会社のなかで行なう まったく特別でない「あること」の中で、まったく予期しないことをまったく予期しない形で知らされた。まったく見ず知らずの他人から告げられたそのことによって、もう10年以上、わたしがうんと若かった時代すべてを支配し、横断し、圧倒的に考えて思い悩み続けていた事柄が その瞬間に あっさりと瓦解したのだった。それは すべてを正しく語ることは絶対的に不可能な種類のことなので、こんなふうに抽象的にしか記述できないけれども、ともあれ まったくの偶然により すべてが氷解されてしまった。わたしは時が解決するなんていう言い方を まったく信じていない。それでもしかし「そうだよ、物事の道理なんてシンプルで 悩みが過ぎ去ってみれば いつも『ああ、なんて簡単なことだったのだろう』って感じるものなんだよ」なんていうふうには、ぜったいに ぜったいに思いたくない。それどころか こうして偶然に、何の前触れもなく、まるで通り魔のように前触れもなく、既に待つことさえもやめてしまっていた「回答」が放たれたということに対して、それをどのように理解すべきかを知らない。肩の荷が下りるのは、今ではなくて それこそ時が経ってからなのだと思う。

夜は たいせつな友人のライブを観にいく。とは言っても、わたしが通っていたのはライブがライブだった時代のことで、今はライブなんてとても呼べない。全席指定の立派なホール。ライブではなく コンサートだ。坂道をのぼっていくあいだ、記憶を閉じ込めて厳重に蓋をしてある瓶の周りを心がぐるぐると旋回して、ひどく感傷的な気分に陥る。そこに 昼間の出来事が交錯し、何がなんだかわからなくなって、辿り着いたときには 既に コンサートは始まっていた。わたしは家族でも友人でも、人との繋がり方が 多分希薄な方だけれど、希薄ながらも このひとと出会わなければ今の自分はないかも、と思えるひとがいるし、少なからず自分にとって大切なひとなら 演繹的に きっと皆そうだと思う。けれど このひとに限っては、このひとに出会わなければ、未来の自分はないだろう、と いつも確信的に 思いつづけている。ずっと 帰納的な存在だった。暗闇の側から ライトアップされたステージを凝視しながら、ああ わたしは今、演技をしていないという演技を見てる、と 考えていた。すべては個人的なこと。わたしは 孤独や葛藤を作為するような真似はしない。理解者を得て幸福なのに、これ以上 どうすればいいの。嬉しさも 苛立ちも 感謝も 軽蔑も、自分が有する感情のすべてが均衡を失い、綯い交ぜになって、引き裂かれる。幕が永遠に下りず、この音楽が永遠に鳴り止まないか、さもなければ 一刻も早く 直ちに家に帰りたい、と 願っていた。音楽の余韻とか 観客の満足そうな顔、否応無しに聞こえてくる話し声や噂話なんて ぜんぶ要らない。ぜんぶ ぜんぶぜんぶ要らない。


24時間も経たないうちのことなのに、変化が あまりにも 大きい。ハリケーンや大津波がやってきて 一瞬にして街の風景を変えてしまうみたいに。深夜、ふと気になったので一年前の7月15日のブログを遡ってみた。品川から早稲田に行って、インドカレーを食べて映画を観て、神楽坂に行ったと記述してある。WRのマンションのベランダに、すてきな風船の贈り物が届いていた夜。たった一年前だけど、待ち合わせの街も 棲む場所も たくさんのことが変化している。とても哀しくとても美しく、自分が生きているということを、強烈に 実感している。