東京タワー 近すぎて見えない

週末なのに何故か来客が多く、一日中デスクと応接室を行ったり来たりして対応に追われる。

今週は、週の後半にかけてどんどん睡眠時間が少なくなり、金曜の日中は、ついに何ヶ月振りかで会社で猛烈な睡魔に襲われた。立ったり座ったり、階下の自動販売機までアイスコーヒーを買いに行ったりするのだけど、頭の内側に霧が立ち込めるような モヤモヤした眠気は一向に消えてくれない。

就業後は 東京タワーの真下の中国料理屋で送別会だった。今夜送別するのは、定年退職されるMさん。しかしMさんは、英語とドイツ語とスペイン語が堪能な上に、長年海外の現法でシステム構築に携わってきたため、部内の情報システム系を一手に引き受けてきた優秀な方で、とてもじゃないけど60歳になるなんて信じられない。髪も黒々としているし、カナダ駐在時に始めたというスカッシュをずっと続けていて、今でも奥様と週に3日はコートに出ているのだという。20代は元より、30代、40代の社員と比較しても、3倍は 能力が 高い。こんな風に能力が高いひとに限って、定年後は 新しい人生のプランが色々とあるらしく、比喩でもお世辞でもなく実際的且つ具代的に「惜しまれながら」会社を去っていく。つい半年前に同じように定年を迎えたある方は、バブル期からの慣習がひとり抜けきらず、莫大な接待費を使って仕事するしか能がないのに、定年後も数年は働ける“シニアパートナー制度”というのをフル活用して、部署内でただ一人だけ、一ヶ月に数十万の接待費を使い続けながら、今でも会社に居座っている。優秀なひとはどんどん新しい世界を開拓していき、そうでないひとは 大きな顔で 既得権益を貪っている。こういうことは、全然珍しいことじゃないけど。音楽の世界には 格好良いミュージシャンと格好悪いミュージシャンの2種類しかいない。小説家でも、格好良い小説家とそうでない小説家がいる。それと同じで、世の中には 格好良いサラリーマンと格好悪いサラリーマンがいる。ミュージシャンや小説家になるのが格好良くて、サラリーマンになるのが格好悪いのではなくて、格好良い何かになることが、何より努力が必要で、格好良いことなのだと思う。格好良いミュージシャンや小説家が ほんの一握りしかいないように、格好良いサラリーマンになれるのも、サラリーマンの中のほんの一握りのひとかもしれない。働くひとはみんな格好良いなんて、真っ赤な嘘。ずるいことをしたり、誤魔化したり、自分を尊大に見せながら働いているひとって、すごく多いと思う。

中国料理屋なので、巨大な円卓4卓を囲んでのパーティー。会場に到着した順にくじを引いて席次を決めることになっていたのだけど、ここで面白い現象が起きた。まったく作為のないくじ引きなのに、くじを引いて決まった席に座ってみると、ほぼ全テーブルで、会社の席が隣合っているひと同士が隣合わせになっている。部長秘書で、部長席からいちばん近い場所に座っているわたしは、勿論部長の隣の席。送別会の幹事は、普段喋る機会の少ない人同士を近づけよう、という目的でくじ引きを作っただろうのに、結果として会社の座席をそのまま円卓にしたような配置になってしまっている。こういう巡り合わせというか、奇妙な因果というのは、あると思う。部長にどんどんお酒を注がれて、水呑み人形のようにそれをどんどん飲み干していた。


明日から3連休。会社の飲み会の後の3連休は、否応なしにヘヴン度が高まる。