夜の贈り物

連休の中日。WRはまた 早起きしてマックの国へ旅立って行ってしまった。わたしは二度寝ができず、またしても午前中に起床。今日も 午前の空き時間を縫って散歩に出て、ねこのメモ帳など無駄なものを購入して帰宅。とても暑いけど、セミの声はまだ聞こえない。だから 8月でなく7月ということなのだろう。音楽を聴きながら、歩きながら、日傘で陽を除けながらも首の後ろをじりじりと太陽で焦がされながら、年下の友人から届いたメールについて、考えていた。わたしの書くべき返事は決まっている。なので寧ろ 彼から投げかけられた問いから派生する様々な過去の出来事に、思いを巡らせてしまう。

Kという 男がいて、わたしは医師ではないので何の診断書も出せないのだけれど、然るべき医者に見せにいけば 彼はおそらく十中八九 自己愛性人格障害と診断されるに違いないけれど、誰にでも訪れる思春期の悩みや挫折を、青年期に酷く捻じ曲げた妄想によって昇華する(実際は昇華などできていないのだけど)術を小器用に身につけてしまうと、目も当てられない状態になるという顕著な例だ。しかし Kのような人間はまず「誰にでも訪れる思春期の悩みや挫折」という物言いに対しても、くどくどと理屈を述べ、(特別な人間である)自分が抱える問題は吐いて捨てるほどいる他人のそれとは違う、と否定し、他人を論破した錯覚に陥るに違いない。頭が良いのではなくて、問題を誤魔化すことに恥を感じないというだけだ。いつも涼しげな顔を装い、理論武装しているが、見透かされると遁走し、さも自分が他人を観察しているように振舞う Kは醜い。心の中の巨大な闇に 向き合うことなく呑みこまれ、呑みこまれる中で妄想という現実逃避の術を憶え、現実と空想の見境がつかなくなってしまった。それは とても 美しくない。苦悩するひとは みんな自分のことを惨めだって あの手この手で訴えるけど、惨めな今のひとつ先を想像していけば、すべきことなんて 自ずとわかるさ。

夜はtobaccojuiceのライブ@下北沢club QUE. 一つ目に登場したadvantage Lucyって、わたし 10年ぶりくらいに観たのだと思う。むかしは 新宿JAMによく出ていた。その時何かのバンドでベースを弾いていたコウヘイ君が、JAMの楽屋で「ウチのバンドに入らない?」って勧誘されていたことなど旧い記憶を思い出し、やはりわたしは女なので おんなのひとがいるインディーズバンドのいまむかし、のようなものが、ひとつの おんなのひとの生き方として、色々気になったりもするので、なんというか こんなふうに年を重ねても可憐に、そして力強く歌を歌いつづけているおんなのひとを目にすると「ああ」と、ライブハウスの周辺で年を重ねてしまった自分としても、かなり一方的に身勝手なかたちで、感慨深くなるものは ある。しかし、こういうふうにライブハウスで歌っているおんなのひとって、どうして皆同じ歌い方をするんだろうか。「誰っぽい」というと語弊があるから書けないけれども、口を金魚みたいにパクパク開けて歌っているような、伸びやかで可愛らしいけれどもアイドル歌手とは違って、アーティストとまではさすがに言わないけれどもわたしは歌い手なんです、という意志を表明しているような 歌い方。個性が感じられない。「わたし」という程度の意味合いの個性を主張するあまりに、没個性化している、というよくあるパターンが見える気がする。

tobaccojuiceは 昨年のスターパインズワンマン以来、いちばん良かった。愉しい。優しい。居心地が良い。惹きつけられた。ポジティブが循環している特別な空間。今夜は渋谷で別のライブに出ていた先輩達と終演後呑みに行く予定だったけれど、こちらのライブがあんまり良かったから 渋谷の約束は取りやめにして、珍しくWRとふたりでビールを呑みに行った。

3連休の過ごし方としては、昨日も今日も最高に最良で 幸せ。素敵な音楽をありがとう、って 云いたい。