ミステイク家族

先週末の晴れた日の夜、寝室の除湿機を付けっ放しにして眠り呆けて以来、風邪をひいている。ふだん アレルギーも鼻炎もないから、只の鼻風邪なのに、まるで 不治の病に罹ったかのように、辛く感じる。

土曜日だけど、WRにつられてしっかりと早起き。今日は 弟と会う約束。正午の待ち合わせに向けて11時過ぎに家を出ると、太陽が照りつける空から、突然雨が降り出した。お天気雨。大粒で、密度が濃くて、雨と雨の間隔がやたらと大きい、夏の通り雨。プール。自転車で疾走する夏休み。男の子のたちのマッチ棒のような黒い足。カルピスの氷が溶ける音。東京には、まだセミの声がしない。

わたしは玄関先で、傘を持っていこうかどうしようか、しばらく迷っている。WRは先に外へ出てしまって、お天気雨を両手に浴びて「涼しくて気持ちがいい」なんて云っている。その様子を眺めながら、(今 あんなに笑ってるけど、この雨が放射能だったらWR 即死亡だな…、)と内心で考えていたところ、「この雨が 何らかの汚染雨だったら、まっさきに オレ 死亡だよね。アハハハ」と WRが笑いながら云ったので、何も口に出していないのに、意志の疎通が物凄い。お天気雨はなかなか降り止まないので、日傘を差して駅まで歩く。雨で熱が収まったとはいえ、コンクリートで出来た街は、ぎらぎらと暑い。わたしたちは既に完全に、夏の景色の中にいる。

弟との待ち合わせ場所は 築地。築地に父の会社が提携している紳士服のお店があり、父は兼ねてからそのお店で、WRにスーツを仕立ててあげたがっていた。なので、ついでに弟にも声を掛け、2人分のスーツを作りに行くのだ。

その前に、築地でお寿司。同僚から「『すしざんまい』という店が良い。築地(場外)には様々な店舗形態の『すしざんまい』が存在するため初心者は惑わされがちだが、やはり初回は“本店”がオススメ」との情報を得たので、アドバイスに忠実に従って、一路 その店を目指す。

大きな交差点に、うちわを配る『すしざんまい』の職人がいて、わたしは「あ、あのうちわ欲しいなー…」と内心思っていたのだけれど、WRが職人をスルーしてさっさと行ってしまった為に、うちわをもらうのは諦めた。しかし、お店に着くと「うちわ持参の方は まぐろ全品半額セール!」と告知するポスターがでかでかと貼ってあるではないか。やっぱりうちわをもらってくるべきだった、と、この瞬間 猛烈に後悔した。後悔しているのはわたしだけでないらしく、お店の前でもやはりうちわをもらい損ねたことを互いに責め合い、罵り合っている家族連れがいる。

わたしは慌てふためいて、少し遅れてやってくる弟に「交差点ニイル すし職人のうちわモッテきて!半額マグロになるカラぜったい!」という 暗号のような奇怪なメールを送り、送信した瞬間に、弟がこの文面を正しく把握できるか不安に駆られたので、入店の列に並んでいるWRを残して、炎天下の中、ひとり先ほどの交差点まで かまいたちのように疾走し、うちわ配りの職人を探したけれども、すし職人のうちわ配りキャンペーンは タイムサービス的なイベント的なものだったのだろう、その姿は すでに忽然と消えていた。


それでも「どこかにうちわは落ちていないか」と、交差点の脇に止めてある自転車のカゴを入念にチェックしたり、『すしざんまい』に行くつもりは無さそうなのに、単に暑さしのぎグッズとして 受け取ったうちわで涼をとっている初老グループの周りをウロウロしたりしてみたけれども、結局うちわは入手できなかった。今思うと、うちわひとつでこの慌てようは狂気の沙汰だ。けれど、必死だった。

仕方無くとぼとぼとお店に戻り、10分程遅れて到着した弟に最期の望みを託したものの、やはりうちわなど、すでに影も形も見当たらなかったようだ。弟が着くや否や 挨拶もそこそこにわたしとWRが「それで、うちわは??!!」と詰め寄ったので、弟は圧倒されていた。

わたしは、15時からスーツの採寸が待ち構えている2人を差し置いて、おなかがまるくふくれるのも恐れず、お寿司を好きなだけ食べて、上機嫌。テーブル席だったので、各々が注文したお寿司は一括で握られ、巨大なまな板に並べられて運ばれてくる。どれが誰の頼んだお寿司かわからなくなるので、それぞれが細心の注意を払いながら各自のお寿司を消費していったのだけど、さいごに 誰も手をのばさないお寿司が2つだけポツンと残ってしまった。「これ誰の?」と詰問しても、WRも弟も「いや、自分のではない」と否定する。勿論わたしが頼んだものでもないので訝しく思っていると、WRがさいごに「…これ、実は自分が予備に頼んだやつ」と告白した。寿司に予備は要らない。

『すしざんまい 本店』は 全般的に 回転してない回転寿司、というイメージは否めないけれど、友達同士か家族で行くなら、安くて美味しくて、おおむね満足できると思う。でも、同じファミレス風のお寿司屋さんなら、わたしはダンゼン『美登利寿司』のほうが好き。

食後はスーツ屋へ行く。WR行きつけのスーツ屋と同じように、生地見本をドンドンめくって、好きな生地を探していく。WRは「次に買うならこういう感じ」というイメージが いつも事前に決まっているので、早々にイメージに近い生地を見つけ出し、生地選びは速やかに完了。弟の方は、随分悩んでいる。悩んだ挙句に、高いくせに表面が異常にツルツルピカピカとした、田舎のホストクラブのような生地を気に入り「これが良いんだけど…良いよね?!」などとアドバイスを求めてくる。WRに比べて、弟は 昔から どうにも ダサい。ダサいなりに、仕事着は無難なスーツ、休日着は 無味乾燥なTシャツとジーンズという出で立ちで、平素は特にダサ目立ちもしていなかったのに、突如として わたしやWRからすれば、もっともありえない部類の生地を選んで嬉しそうにしているので、困惑してしまう。そのツルツルを欲する心は、いったいどんな冒険心なのか。

もっと別の生地を選ぶように 説得することもできたけれども、結局、あえて弟が自分で気に入ったもので作らせることにした。ファッションセンスは ちゃんと失敗してちゃんと後悔しない限り、磨かれないから。ここでこのツルツルのスーツを作るのを阻止したところで、弟は次回スーツを買うときまでに、ツルツルスーツへの憧憬を更に募らせてしまうに違いない。それに、彼が自分で購入する既製品スーツのツルツルより、親の払いで仕立てて貰う 高級ツルツルスーツの方が、同じツルツルでもまだ品のあるツルツルだろう、という気もした。WRは 弟が選んだツルツル生地に触りながら「…ほんとにツルツルだなー」と口の中で呟き、笑いを噛み殺している。スーツの細部の細かいデザインの指定は、弟はぜんぶWRが選ぶタイプを聞いて、真似をしていた。しかし スーツ本体がツルツルな以上、ディテールをどんなに真似したって 後の祭りというやつだ。どうせならスーツの柄も同じのを選べば良かったのに。

弟とはここでお別れして、歌舞伎座の前を通って日比谷まで歩く。夕方の街は 陽炎が出そうに 暑い。WRは 夜は同僚の家でホームパーティーがあるとかで、手土産に天狗ビールとカヴァを買って、大井町へと旅立って行った。わたしはおうちでゴロリ。仕立て屋の布地の埃っぽさで、風の具合が悪化した模様。久しぶりに訪れた ひとりの夜。母親に電話をかけて、皆で仲良くお寿司を食べてスーツを仕立てたこと、WRも弟も変わらず元気にやっていること、2人共頼もしく仕事をしていることを、話して聞かせる。母のうしろで、ききちゃんが「♪ロリポップひとつ ほおばって〜」と、おうたをうたう声が聴こえた。




「すしざんまい」
http://www.kiyomura.co.jp/
サイトの色味が凄い それに 24時間年中無休って そこまで頑張る必要あるのか

「銀座 山形屋
http://www.ginyama.co.jp/
ツルツルスーツの販売元 WR行きつけのお店の方が、オシャレ度は上