溶けない硬質の雲、相槌、露と光の掃除

2回目の梅雨がきているとしか思えない。7月が今にも終わりそうなのに、空は曇ったり降ったり止んだりばかりで、6月のままの振りをしている。地上のわたしの暮らしは、まったくの平穏。アメリカの部長から 夏期休暇前後のスケジューリングに関して「*日の販売会議の予定が抜けているじゃないか!」と 海を越えた怒りの電話が届いたので アメリカまで呼び出されるんじゃないかと震え上がったけれども、結局 それはせっかちな部長の勘違いで、事無きを得た。だから、やはり とても 平穏。

電話でもメールでも あまりにもよくある間違いだけど、例えば よりわかりやすく相手に伝えるために、日付と曜日を併せて言ったり書いたりするけど、その日付と曜日が不一致で、結局確認に手間取ったりすることなども、ビジネスに限らず よくあったりして、そういう細やかな部分がいつも完璧なひとは、他の仕事もよくできるし、何よりも信頼がおける。誰かと一緒に出掛けるときは、相手を待たせないように 予めIC切符の入金を済ませておくとか、割り勘用に大きなお札は崩しておくとか、少なくともビジネス上やよく知らない人同士が共に行動するときは、事前に自分の時間を削って、そういう下準備をしておけるひとがいい。こういうことは、それができていないから気が利かない、というわけでもなく、待ち合わせ場所に来てから「ゴメン 食事の前に銀行寄っていい?」「イイヨー」なんて言い合って、話しながらぶらぶら歩くほうが 実はコミュニケーションの方法として、臨機応変で高度なのかもしれないし、だいいち そういう自然体が好きで、そういう振舞いが似合うひとには、前述のチマチマした気遣いなんて一切評価されなかったりするので、ケースバイケースには違いない。わたしの部長は、豪快に見えて、驚異的なリサーチ&洞察力の持ち主であり、適切な段取りというものに命をかけてる。それで国内営業のトップに君臨して、出世した。要するに、典型的な一昔前のビジネスマンなんだけど、古臭い奴、と笑ってばかりはいられない。こんなことだけど、それは彼が研鑽を積んで 今や桁外れの武器となったものに他ならず、傍から見ていて、学ぶべき点は 意外にも とても多い。

金曜日まで恐ろしいばかりに仕事がひま。昨日か一昨日の新聞の1面に「企業内失業者 過去最大の607万人に」という見出しがあったけど、今のわたしは 間違いなく607万人のうちの1人だ。全然大威張りできるようなことじゃないけど、わたしと同じく 会社内で漂流中の仲間が日本全国に606万9999人もいるのかと思うと、励みになるというものだ。

今のところ今週はまだ、遊びに行く予定もお出掛けの予定も 何もない。凪のような平日。夕食の買い物にスーパーに寄り、パン屋で朝食のパンを買い、夕食を作って 食べて 片付けて、それからそれぞれが勉強したり読書をしたり…とはいえわたしは一通りの家事を終えたあとは、生活の疲れが身体に染みついてしまうかのように、本が読めなくなる…そしてあまり遅くない時間に消灯して、あとは眠りに落ちるだけ。

勉強や読書さえも出来ないで眠ってしまうと、目を覚ましたとき、猛烈に後悔する。だけど、ほんとうは知識欲も、食欲や性欲や睡眠欲と同じ、ただの己の欲望、欲求に過ぎない。それらは本能とは違います、と窘められるとしたら、物欲とか 名誉欲とか 痩せたい欲とか 奉仕活動に従事したい欲とか、本能の1枚外側にある、他のすべての欲求と同等と表現してもいい。知識欲を原動力とするあらゆる行為を、努力や自己研鑽の対象だとか、高尚な行為に仕立て上げるのは、単に自分の意識に過ぎない。知識欲だって、その他の欲望と何ら変わらない ひとつの欲にすぎないのに、できなくて後悔したり 罪の意識を感じるなんて ほんとうは、とてもとても へんなことなんだよ。



ねこを飼いたがるねこにねこのこを買い与えるのは甘やかした保護者かどうか?/今でもビールの苦味を我慢していて息を止めなくては呑み込めないビール好きはビール好きなのか?/午後4時、急角度の前傾姿勢でコンピューターに挑んでいる女の 世にも凄まじい行動様式/音楽なんか聴きたくない、と思うときに 聴きたくなる音楽は 果たして良い音楽がどうか?


こどもが欲しくない やっぱり ねこのこ とか、あとはよその子 がいいな ほんとうのパパとママが死んで天涯孤独になった、よその子。ほんとうの家族、血縁って、わたしはきもちわるくて 嫌いで、あたたかな母の手や しわしわの祖母の手の、あの人肌のやわらかさや温もりが 嫌で、たとえば母や弟なんかは 他人として見ても わたしは結構良い人間に思えるので好きなのだけど、でも、家族とか 血族と考えると、ほんとうに嫌になる。おとなになってからの家族は、ベッタリした血が介在しないのが素敵。相手の中に 自分に酷似する何かを見ても、自分の核そのものを見せつけられたときの、ねばついた感情が湧き上がらないから 好き、わたしが欲しいのは ひとり残らず他人同士の、まるで孤児院のような 家で、わたしは自分でつくった孤児院の孤児のままで 生きて死にたい、