夏の魔物

雨で曇りで晴れ。夏休みまえの駆け込みしごとが少し。少し忙しい。今日は珍しく夏らしくなく暑くない。暑くない夏は変な日。わたしがこどもだった頃はまだ、冬は大雪が積もって寒くて、夏は1秒の隙間もなく蝉の声が鳴り響いていた。会社のフロアは、抗菌化されてモーター音ができる限り小さく設計された、白くて清潔な冷蔵庫のよう。ふわふわの産毛の桃や甘夏や無花果や梨が、静物画よりも脈絡を失い、霧の向こうに整然と整列する。

ランチタイム、同じ部署にいる40歳のUB(うるさいババア)に開口一番 空気をバシバシ振動させるような大声で騒ぎ立てられた。

「ねぇねぇ、昨日のお昼、部長に誘われてるの、わたし見たわよーーー!何処に食べに行ったの?なんで、どうして、ナンデナンデ雪さんだけなの?!」

…その場にいたその他の女子達も「え?何?昨日ランチ一緒だったの?!」と なんだか ざわざわ、となってしまったので もう何というか、UB消滅しろ、と 思った。



昨日 部長と鰻に行ったことは、ソフィアちゃんしか知らない。ソフィアちゃん(←美女)と わたし(←気が合うと思い込まれてる)は、食事に限らず、部長に付き合わされることがよくあって、ソフィアちゃんとは「…これから部長と出掛けてくるわ」「うへー、まじでおつとめごしゅうしょうさま」という会話もしょっちゅうなので、お互いに 紳士協定のようなもので結ばれている。わたしがソフィアちゃんへの逆接待をぜったいに他の女子に漏らすことなどしないように、ソフィアちゃんが他の女子軍団にこんなことを公表することだって、天に誓ってありえないはず。ということは、お昼休みの10分前に部長とさっさと部屋を出たこと姿を、UBがひとり ほくそ笑みながら観察し、24時間もの長きに渡って 皆の前で公表するのを待ち続けていたことは想像に難くない。


「何を食べたの?」「いいですねぇええええ」「雪さんだけ、どうして連れて行ってもらえるの?!」とUBは矢継早に質問を浴びせてくる。しかし、このひとに 世の中に理由もなく食事を奢られるひともいるということや、奢られるのはこっちだけれど、寧ろこっちがあちらに付き合ってあげている方なのだ、という物事の道理をわかってもらうことなんて100年経っても不可能であるし、わたしとソフィアちゃんの暗黙の了解など、自分の立っている地平からしか物を見ることがないUBに通じるはずもない。そして部長が そんな風に物事を大きく騒ぎ立てるUBのようなひとに 何か特別な配慮をしようなんて、思うはずがない。それで誰かが優遇されていると嗅ぎ付けるやいなや 町内会のスピーカーの如く大騒ぎに騒ぎ立て、挙句の果てには「媚を売ってる」などと陰口を撒き散らすのだから、UBの頭の中は すっかり狂い咲いているよ。包み隠さず 何処へ行って何を食べたか報告するのも面倒くさいけど、たかがこんなことくらいで しらばっくれるのも面倒くさい。心の中で、ああ、だから上司に鰻なんかご馳走になったところで、鰻の味以上に後の面倒事が高くつく。美味しいものは、やっぱり自分で口にするのがいちばん美味しいやり方だわ、と もう何度目かはわからないけれど思い知り、そう思ったすぐ後に、UBのようなひとは 他人の美味しい思いをマイナスに戻す為に今みたいな余計な詮索、余計なお喋りを大勢に聞かせなければいけないのか、とハタと気がついた。UBからすれば、得しているように見えるひとにこのような制裁を与えることが、正義であり使命となっているのかもしれない。


・・ええ、昨日は鰻を食べにいきました。何故かって?すっかり夏バテしそうな盛夏なので、鰻で暑気払いをするから おまえも着いてきてくれないか、って部長が仰るのでお付き合いさせて頂きました。次にお誘いがあれば、UBさん代わりに行ってくださいませんか?お昼休みまで上司に気を遣って食事をすると、休んだ気にならないので、今度こういう機会があれば、UBさんが是非お供して差し上げてくださいね、・・・・


なんて云えたらさぞ気分がいいだろうと思うけど、こんなこと云ったら大変なことになりそうな気がするので勿論云わない。しかしUBに対しては「こっちの苦労も知らないで…、」と思うのは間違っている。こっちの苦労ではなくこっちが受けている恩恵を嗅ぎ付けているからこそ、恩恵を帳消しにする苦労や面倒事を、何としてでも与えてやろう、としているのだ。UBのようなひとが たった一人いるだけで、自分を取り囲む世界が途端に中学生の時の世界に戻ってしまう。

定時に帰宅。WRは飲み会で遅いので、ビール片手にネットを操り、最近のきなくさい芸能ニュースの数々を隈なくチェック。調べれば調べるほどに きなくさい。きなくさいぜ!!!

気づくと 飲み会で遅い帰りのWRが帰宅している。朝から体調が悪かったらしく、ビールを1杯飲んだところでいよいよ気分が悪くなってきたので 仲間の大笑いに見送られながら、開始10分で 飲み会を早退してきたという。まだ21時半とかなのに、まるみちゃんと ねんねこ、ねこんこ、ドアラちゃんらを頭の周りに集合させて、本格的にベッドで寝てた。


夏休みまで、あと2日!