若くない女 前夜祭

WRは朝から半日、しごとの勉強会に出掛けて行った。ねこを両手に持って玄関先まで何とか見送ったものの、わたしは二度寝で爆睡。お昼前に起きる。

明日は最終日のサマソニに行くので、WRの帽子を買いに街を放浪する。WRは 顔がオニギリ型のせいか、なかなか似合う帽子が少なく、被っては捨て、被っては捨て、選ぶのに非常に難儀している。わたしもツバの広い帽子を買おうと張り切っていたものの、皆既日食時のエリカ様ばりにツバが広がった帽子を試着し、あまりのツバの広さに自分で却下。WRは2軒目の帽子屋で、なんとかお似合いの帽子に出会えた。頭の部分が大きく広がったキャスケット。オニギリ顔に悩むひとは、キャスケットが良いのだと判った日だった。その他、スプレー式の日焼け止めや、汗拭きシートなども購入。これで準備は万端というものだ。フライパンで牛肉を焼いて、サンチュで巻いて食べる夕食。ハイネケン

夜は近所で阿波踊りのお祭りがあった。狭い路地に、凄い人手。都内から様々な阿波踊り連合が集まっている。なかでも「宝船」という連合は、暴力的且つ無軌道な激烈な踊りを舞い踊ることで有名なようだ。「鬼のように」という形容詞があるけど、実際、踊っている若者全員が鬼のようとしか言えない。鬼のような団体であった。

今まで四国という土地柄に縁もなく、阿波踊りを実際に間近で観たのははじめてだったけど、女のひとの装束がこども、若い娘、若くない女性ではっきりと区別されていたことが印象的だった。舞妓と芸者の違いのような。やはり、日本において「若い娘」には特権的な意味があるのだということを 非常にしぜんな形で実感させられた。

わたしが結婚していちばん楽になったのは、会社とか 昔から知っている大学時代の先輩の男のひとたちからも、所謂「若い女」扱いをされなくなったことだったりする。単に自分がむかしより齢をとったからというせいだけではないと思う。自分より年齢が上のおんなのひとでも、未婚であるだけで、やはり「若い女」としてかんたんにからかいの対象になったり、興味を持たれやすい。彼氏がいてもいなくても、未婚のときは ただの若い女という扱いをされ、結婚した途端に自分の中身が何も変わっていなくても、いっぱしのレディにされるというか、裏側に透けて見える夫(男)の存在が、ある種自分にとって父親代わりの、保護者としての機能を果たしていることが わかってきた。夫のことなんて一言も話したことがなくても、冗談や軽口にしたってぞんざいな扱いをされることが激減したように思う。

お祭りにおいては、若い女は斜めに尖った傘で顔を隠して、花魁のような高下駄を履く。若くない女は、男衆と同じ浴衣を着て、同じように地下足袋で舞う。要は、祭りの世界(=古代の日本)で 女と云えば生娘のことで、そうでない女は男と同じ、ということで、既に結婚している女が楽になる部分というのは、「女扱いされなくなる」ことの良いほうの効果のことなのだと思う。これから齢をとっていくからといって、男のような女になりたいとはまったく思わないものの、世間の男の 若い女に対する好奇心や欲望の対象から逸脱し、除外されていけることは、ほんとうに嬉しい。それとも 若くない女として生きていく歴史の方が長いのだから、いつかは 自分が若い女だった時代のことを、懐かしんだりするのだろうか。熱気をあげて通り過ぎる行列を見送りながら、そんなことを考えていた。