ゴーギャン展へ

早起きをして 国立近代美術館で開催中のゴーギャン展へ行く。少しでも空いている日に行こうと狙っていたので、東京からひとが少なくなる、お盆のこの時期をずっと待ってた。お盆に加えて、西日本では台風が接近していて、関東近県でも大雨洪水警報が出てる。だから、ただのお盆の時期より、きっと もっと 人手は少なくなるだろう。WRが「今日行くのは、上野じゃなくて、竹橋なんだよ」と云う。ふぅん。竹橋の地下鉄ホームで、黄色い点字ブロックの上を凄い勢いで直進してきた盲目の男性に、白い杖で突き刺された。白い杖は軟らかかった。ぼーっとして、前方を見ていなかったわたしが全面的に悪いのだけど、もっと悪い事故が起きなくて良かったけれど、なんだかとても落ち込む出来事。

展示会は、何処の美術館でもそうであるように、最初の3点の絵には黒山の人だかりであるものの、それ以降はひとの頭で絵が見えない、という悲劇もない。わたしは「海辺に立つブルターニュの少女たち」、「洗濯する女、アルル」を気にいる。WRは初期の印象派時代の絵もいいよね、と云っていたけど、わたしは わかりやすいものしかわからないのか、ゴーギャンのあの黄色や青を目にした後は、あの強烈な違和感の後では、初期のぼやっとした絵について、印象派という特色以外は無個性なものに感じるばかりで、すっかり印象を失くしてしまった。

ゴーギャンの黄色や青や緑や赤は、どれも自然の中にはない色だ。毛羽立った肉厚の、外国製のバスタオルみたい。作品解説にも、図録にも、美術批評家の書いた本にも、ゴーギャンの人生や作品については解説の限りが尽くされていて、今更わたしが発見できることなんて何もないけど、ゴーギャンには人間が、自然が、世界が ほんとうにあんなふうに見えていたのだろうか。わからない。

「我々はどこから来たのか(斜めに傾いだ三角座りで、右肘を直角に折りたたんで右手で顎を掴み、気取る) 我々は何者か(すっくと起立して、頭上の果実を両手で捥ぐ) 我々はどこへ行くのか(正面を向いておなかと膝をピタリとつけた三角座りで、両手で両こめかみを覆う)」、この絵の物真似は 以前から我が家で大流行していたので、実物に出会えてとても嬉しい。絵が大きすぎて 全体図が視界に入らないから、鑑賞者は右から左に動くことになる。動くから、絵が物語として機能する。白いねこ。ねこ?

7月の、福田和也先生と坪内祐三先生の対談のとき「ひとは死んだらどこに行くのですか?」ってわたしは訊いて、「町屋の火葬場だよ」って教えてもらったけど、だから 町屋の火葬場に行くことはわかったんだけど、そのあとのことがわからなくて、わたしが 訊きたかったことは、この絵が訊いているのと同じことだとようやくわかった。ゴーギャンでもゴッホでもいいんだけど、死んだあと、何十年も百年も後に、自分の絵が 白手袋の運搬人に保護されながら、世界中を駆け巡っていることを知っているのだろうか?知らないような気がする。人類にとって意味はあっても、彼らにとっては意味がないような気もする。わからない。変なの!

神保町までテクテク歩いて、ガラガラに空いているのに断固として相席を進めてくるへんなお店で昼食をとり、東京堂書店でWRが書籍を買い、伯剌西爾で珈琲を一杯飲んで、家に帰る。

生理痛がつらくてクスリを飲みつづけたせいで、夕方はずっと胃を壊す。胃が痛いので、夕方からずっと眠っていたら、眠りすぎたのか今度はひどい頭痛がする。そして明日は病院で、生理痛とも胃痛とも頭痛とも無関係な検査を受ける。