終わらない世界の終わり

10日前から予約を入れていた病院へ。午前中の診察なので、遅刻しないように早起きして行く。表参道のピンクリボンブレストケアクリニック。乳癌の検査。ここ二週間ほど、右胸が針で刺したようにズキズキと痛むことを気に病んでいて、電話をかけた日からいちばん早い予約可能日が今日だった。

数年前、母が乳癌になった。早期発見と迅速な手術のお陰で、今は何とか元気に過ごしているようだけど、あのときはほんとうに ああ このひとは死ぬかもしれないな、と 初めて思った。少し前まで 自分が死ぬことばかりをしょっちゅう夢想していた者が、不治の病を怖れておずおずと検査に行くなんて馬鹿げているし、そんな風に馬鹿げていることが、すなわち生きている、ということの、情けなく頼りない、ただひとつの証なのかもしれない。クリニックは清潔。看護師さんも レントゲン技師も 医師もみんな女性で、みんな温かく、スマートで、口調も、検査室へ誘う指先も、いたわりと理解に満ちていてとても親切。クリニック中にアロマの良い香りがして、更衣室も待合室もどこもかしこもとても清潔。もし仮に、こんな理解に溢れた場所で乳癌のひとつやふたつが発見されたら、ぜんぶが作り事のように、あたかも美しい物語のように、穏やかに優しい気持ちで死ねるのかもしれない。でも、これも すべてぼんやりとした甘美な夢想だ。

マンモグラフィの検査と超音波の検査と触診をして、それが乳癌の検査の取り急ぎのフルコースで、激痛が走ると悪評の高い検査もわたしにはまるで痛くもなくて、しかし、帰宅したあとは とても疲れた。表参道から渋谷まで、愉快に歩いて帰ってきたというのに、午後は底無しの疲労感に襲われた。わたしの右胸の痛みは乳癌ではなく、水が溜まっているということが判って、診察結果票を参照すると、「両側乳房に2-5ミリの乳腺嚢胞が多数確認されました。乳がんを疑う異常はありません。ご安心ください。」と書かれてあって、これ以上の親切はないくらいそれは心遣いに溢れた文面なのだけど、要は わたしの両胸には蛙の卵のようなプチプチとした水泡が多数内包されているということで、それは手術して除去するとか薬を飲んで溶かすようなものではなく、月々に変化するホルモンのバランスによって、身体に吸収されて消滅したり、悪くすると石灰化するようなものらしいけれど、とにかく「水が水のままである限り、痛むことはあっても問題はない」らしく、自分の両胸に、ブラジャーの中に、自分が無数の蛙の卵を抱えているのに何ともないというのは奇妙なことだし、例えば肺の中に睡蓮の花が咲く病なんかに比べてしまうと、とても低級な感じもする。

東急デパートの地下で2人分のケーキを買って、スーパーで昼食に作る焼きそばの材料を買って帰った。WRは朝と同じように、いつもの場所で勉強をしていた。

昼食を食べたあとは、もう、ずっとずっと昏々と眠る。自分で異変を感じて、自分で病院を探して、自分で検査に行って結果を聞いて医者に質問をして、回答を聴いて帰ってくる。淡々と手筈を整える自分のことを まるで母のようだ、と思った。母から 人間ドッグで少し入院する、という電話がきて、何か変だと直感したわたしは福岡から飛行機に飛び乗って、慌てて母の入院先の病院に駆けつけたのだった。人間ドッグなんて、やっぱり嘘で、母は、病院の最上階のスイートルームの個室にいて、ベッドの上で身体を屈めて靴下を履いている最中だった。1年半ぶりにわたしの姿を見た母は、まるでマンガか何かのように、一瞬で パァァァ!と顔を輝かせて、明日が癌の手術だというのに「雪ちゃんが帰ってきてくれて 嬉しい」「入院して良かったわ」と大喜びしているのだ。母親なんてほんとうにバカだ。たくさんのことを思い出すけど、もうやめる。わたしの蛙の卵は、いつか吸収され、消えてくれるのだろうか。比喩ではなく、胸がほんとうにズキズキと痛む。