遭難者の奏でる音楽

早朝と真夜中の空気に、微かに 秋の澄んだ冷気が混在している。わたしの夏は、夏休みのなかで 完結した。今日は会社で半期に一度の考課面談があり、「業績不振の今は、全社的に査定アップは見込めない」という前置きのあと、「なので、昼食に弁当を作って持参するなど、各自が工夫して生きてください」という 意味のわからない一方的な結論を導き出され、ポカンとなった。

会社の難局とはまるで無関係に、わたしの人生も本格的に難解な局面。生まれてから今の今までずっと、漂流中の遭難者のようであったと今さらながらハタと気がついた。救命ボートは あらかじめ操縦の意思を奪われているので、ひるねをしたり おやつを食べたり、時々上空にやってくる鳥を眺めたり 飛び魚を見たり、居心地がよく快適だった。死ぬまでボートで漂流するのもそう悪くはないように思えるけれど、このままボートの上で白骨化したら、わたしという存在の生も死も、永遠にこの世に認知すらされることなくすべてが終わる。わたしは たったひとりのひとに わたしが生きているということを知らせるためにも、自分で自分を救助しなくてはならないだろう。ボートから岸に戻らない限り、それを知らせる方法がない。

夜は銀座。友紀ちゃんが、オザミが経営するスペインバル「Vinuls」のテーブル席をとってくれたので、喜び勇んで駆けつけた。1Fのバルはタパスが中心で、2Fのテーブル席は 前菜やメインが色々と選べる。いつも満席で入れないお店だけあって、何を頼んでも安いし美味しい。ワインも美味しいし、これで隣の席との間にもう少し距離があるとさいこうなんだけど、そこまで望むのは贅沢かもしれない。明日はWRと神楽坂の「El Pulpo」に行く予定だったけど、2日連続スペインバルはねぇ、と思って予約するのを取りやめていたのだった。けれど予想に反して この夜の「Vinuls」の美味しさが呼び水となり、「ああ、明日もスペインバルに行きたい・・」とかえって欲求が高まってしまった。

友紀ちゃんとは、いつものことながら 恋愛話と会社のUBT(うるさいババアたち)の話題に終始。たのしい。今夜はそれに加えて、何故か金の話まで飛び出した。もう おとなだから、お金についても学ばなくては。ゆきちゃんから、夏休みのお土産として、彼女がこの夏最も遠出した地・柴又で購入したというムーミンキャンディをもらう。柴又なのにお土産、柴又なのにムーミンとは二重にわけがわからないけど、我が家がムーミン世界を愛好する一家であることを知っている彼女にしかできないナイスセレクト。まるみちゃんも、ねこちゃんたちも、ドアラちゃんも、みんなみんな ムーミン世界が だーいすき なんだよ!!!

これからどんどん 夏だったものが秋に変わっていくことが、今年はそれを想像するだけでも もうたまらなくおそろしい。福岡市のけやき坂を、夏中自転車で疾走していて、頬にあたる風の感触が 秋に変わった瞬間を思い出して、それがものすごくこわい。嫌な夏が過ぎ去ることを待ち望んでいたのに、あの年のあの日「あ、秋に変わってしまった」と気づいた瞬間、切なさとか寂しさとか孤独感なんていう言葉では100年経っても言い表せないほどの、巨大な虚無に襲われたのだった。それでもわたしは 春より秋が好きで、夏より冬が大好きだけど。おとなになると感受性が鈍くなるって云うけど、季節の変わり目の香りの記憶の立ち上り方は、齢を追うごとに 去年よりもさらに鋭敏になってしまう。記憶が重ねられていくから。層の上に容赦なくまた層が連なる。永遠に完成途上の 巨大なミルフィーユのようだわ。ミルフィーユで積まれた季節のそれぞれは 反時計回りで循環しつづける、ゴーギャンの名画の世界のようだわ。死ねばいいのに 死なない。悪い意味での健やかさでいっぱい。それで今はまだちっとも岸が見える気がしない。