残酷な仕組みと 美しさに関して

見える世界 視界 言語のかたちは同じでも構成要素は各々で違う ブラインドで空が遮断 片耳が欠けたクロワッサン わたしが彼を好きで 彼が彼を好きで 彼はわたしを好き シンメトリーとトライアングル その両方の均衡 ラングドシャ


ドアラちゃんに「いくらがんばってキャッチボール練習しても、ドアラちゃんは ぜったいにプロになんて なれっこない!」って試しに言い放ってみたら、ショックのあまり失語症になった

どんなに傷つけたって ぜったいに反省なんか しないわ


welcome to the garden party


例えば 留学生で東京に来た21歳のアメリカ人の女の子が 東京に住んで東京のお店でショッピングするようになるとね、日本人の女の子ってみんな棒キレのように小柄で細くて、此処で売ってるお洋服は みんなXXSサイズだから、アメリカの女の子は わたし 太ってる!って脳と視覚が錯覚して suffer from anorexia nervosa 病気になっちゃうんだって 日本人の女の子は、未だにお洋服もお化粧も まるで白人や黒人を目指してるみたいに そっくり外人を真似してるのにね、

女の子たちは 木の周りをぐるぐるまわって追いかけっこするトラみたい ひどく病的で滑稽でかなしい さいごはみんないっしょ、ドロドロに溶けてバターになる




だけど anorexiaの本場はアメリカなのに、

この病気の日本人の女の子には、

アメリカで暮らしはじめると いつの間にか病気が治ってしまった、というパターンが とても多い、

しごとはまずまず。冷汗をかくような来客の勘違いと誤解を契機に、頭のかたいわたしにしては、飛躍的な発見を得る。勉強するということと、勉強になる、ということは、似ているようで 限りなく異なる。常套句やお世辞で述べるのではなく、ほんとうに勉強になる、勉強になった、と感じるとき それはわたしの内だけに響き、輝く財産のようなものなので、そういうものに関して とても言葉にできる気がしない。勿体なくて言葉には出せない。わたしにだって 時々 出し惜しみをするものがあったとしたって、いいじゃない。


夜はWRと神楽坂で食事の予定でいたものの、バルの予約がとれなかったので、おとなしくまっすぐ家に帰り、慎ましい夕食を作る。食べる。喋る。笑う。洗剤をぶくぶくと泡立てて、皿を洗う。さまざまな考えが きれぎれに頭の中を駆け巡るのだが、ぜんぶ疲労や眠気で頭の外側に押しやられてしまう。明日は金曜日、週末、夏休み明けの今週は みんなたまらなく長かった、って云うけど、満員電車も会社の人たちも わたしには久しぶりで新鮮で、長いという気は全然しない。