アフリカと混乱

WRは早起きして映画に行ったけど、わたしは起きられない。お昼まで眠る。WRが買って帰ってきてくれた ドーナツを ひとつ 食べて、テレビを点けたらフジテレビのドキュメンタリー番組を やってた。アフリカの貧困国で、ゴミの山に住むこどもたちの物語。同じシーンでも 数分毎に服が変わっている女アナウンサーや、場面が切り替わる毎に豊かな日本の映像を織り交ぜる演出など 欺瞞がプンプン匂い立つけど、テレビを見て自分の頭を働かせたり怒ったりしている時点で 既にメディアの思う壺であるなあ、と思うと 怒ったり考えたりする気も失せる。テレビを見ないこと、見ても何も感じないことが メディアからの最大の自立だし復讐だとも思う。

親がいなくてお金がなくて学校にも通えてない子の将来の夢が「副大統領になること」で、それを聞いた女アナウンサーが 労わりの眼差しで「副大統領になったら日本にも来てくれる?」と訊ね、「うん」と言わせて終わる。次に お台場に遊びに来ている親子連れの姿に映像が切り替わり、それを 東京に戻った女アナウンサーが、テレビ局の社屋から複雑な表情で見下ろしている。お台場に遊びに来ている親子連れより、この女のほうが200倍も醜悪だ。国際問題のことなんて、キャリアアップの道具にしか考えてないくせに。学校に行けないアフリカの子より、エルメスの新作買ったり 合コンに行くほうが大事な癖に。でも にちようびに何処にも行かないでパジャマのままドーナツ食べてたまたま点けたテレビ画面を眺めているだけのわたしにはそんなこと まるっきりどうだっていい。何も感じたくない。こういうものを見て、何かを感じたような気分になってしまったら、すべてが終わりになるだろう。

夕方 WRとスーパーへ行く。お米を買う。大混雑のレジで 前に並んだお婆さんの大量の買い物のスキャンを待っていたら、最後にそのお婆さんが 後ろのわたしが台に置いたお米を見て「ああ、お米も要るんだった。ちょっと!ちょっと!あなた!わたし、これでいいわ、あなたのこのお米でいいから譲って頂戴。わたし 取りに戻るのにも足が悪くて」等と言い出したので、吃驚。レジ係の女の子が慌てて売場に内線電話をして、お婆さんの分のお米を持ってくるようにアナウンスしてくれたので事なきを得たものの、なんという図々しさだろうか。わたしは ねこの額よりも心が狭いと自負してはいるけど、こんな言い方をされて みすみす譲ってあげる若者って、いるのだろうか。2日も眠りっ放しだった為に、世界の展開に身体が追いつかない。早めに夕食をつくり、ねこ遊びやまるみ遊びをしてまた眠る。

多分、今 わたしはとても調子が良くないのです。夏は 植物も虫も動物も、たくさんの命が死んでいく。夏は生命力が必要だから、夏に勝てない命は終わる。3年前や 4年前や 5年前の、特別でない ただの一日が、どんなに願ったとしても 今元通りに復元されることが絶対に 絶対にありえないことを思い、意識が遠のきそうになる。行方不明の記憶、行方不明の風景だらけだ。一緒にテーブルを囲んでいたひとたちは、皆何処かへ消えてしまって、額縁の中には家具だけが残る。わたしは 会社はぜったいに休まないけど、何か 心底疲れ果てているのです。見えないけど 遠く確かに繋がっているものと 確かに連動している現象なのです。