いきものといのち

まるみちゃんが無事とちぎ県についたというハガキが、家に帰るとポストに着ていた。けれども、着いたということ以上の情報は何もない。まるみちゃんは、たいへんしっかりしているお子さまだけど、何しろ今は重篤な病気なのだ。喋ることもできない。まるみちゃんがいない。まるみちゃんがいない。まるみちゃんがいない。まるみちゃんが 元通りにげんきなまるみちゃんに戻ってくれたら、100万円だって軽く出せるよ。

寂しがってばかりいても仕方ないので、WRはしごとの勉強を黙々とがんばっているし、わたしも 結構長いこと「やろう、やろう」と思いつづけていたのにまだ手をつけていなかったことに、今ひとつずつ着手し始めている。辛いときは いつになく気持ちが謙虚になって、今できることを粛々と行うしかないのだ、と心底わかる。まるみちゃんは、その不在においてさえもなお、わたしたちに多くの導きを与えてくれる。まるみちゃんって、まるで、天使のような、お子さま。

しごとは多忙だった。毎日同じ席に座って、少しずつ違うしごとをしているけれど、8時間なら8時間のうちで、おそるべき時間認識の緩急がある。経済がよくない。経済の善しあしが、ひとびとの深層心理の地固めをしている。ひとびとの心にもっとも影響を及ぼすものは、音楽でも映画でも絵画でもなく、経済と健康。衣食の先に存在できる礼節なんだよ、ひとは死んだら何処に行くのか、宇宙の終わりはどこなのか、わたしに正しく教えられない限り、必死で本の頁を捲りながらタイピングした知識の寄せ集めを幾ら書き写したって 意味なんてない!かつてわたしが唯一目にした芸術家の幻影をずっとずっと夢にみている。

夕食は秋刀魚。それから、ニラと鶏そぼろを和えたもの。たんぱく質が好き。WRは 明日も会計のテストがあるので、いかにも脳に良い効果を及ぼしそうな秋刀魚を選んだのだった。

きれいにとれた秋刀魚の骨をお箸でつまみながら「開けてみないとわからない魚のこんなからだの中まで、完璧に造ってしまうなんて、かみさまってやっぱり天才」というような話をして、それで、この秋刀魚も人間に食べられてかわいそうだけど、海の中で誰にも気づかれず寿命を迎えて海の藻屑となるよりも、人間の血肉となって 世界の叡智に少しでも参加できるほうが意味があるのではないか、というような話をしていたら、WRが「そう考えると、試験や受験の前にいちばん人々が好んで食するメニューと言えば、やはり敵に勝つという意味でも“豚カツ”に他ならず、ならば いちばん人間の血肉となって世界の知性に役立っているのは“豚”ではないだろうか・・、人間の発展にもっとも貢献している生物は“豚”に違いない。次の食事を取るまでの僅か6、7時間の間の儚い活躍ではあるけれども・・・・」などと、凄い大発見のように語り出したのだけど、カツ=「勝つ」の語呂合わせに喜んだりするのは日本人だけだし、食べてすぐに燃焼しだす炭水化物とは訳が違うので、魚や肉が 食べた直後に受けるテストの役に立つとは到底思えない。そして夕食を食べたWRは、満腹になりすぎたのか、すぐに本格的に就寝していた。