仮病
しごとがとてもうまくいっているので、うまくいかないことが山積してきた。他者の功名心のために成果が巧妙に奪われていくことに耐えられない。これらはお茶汲みだとか、エアメールのラベリングなんかの話ではなくて、わたしにとって、働いている中で 唯一本質的だと感じる事柄について。ともあれ、責任感というのは 自尊心のことなので、ひとたび自尊心が損なわれたら、責任感も同じ分だけ喪失するのは自明のこと。こういう責任放棄の考え方はよくないことかもしれないけれども 自尊心が失われたからこそ、思考の回路がこんなふうにプラグインする。
今夜は、会社の飲み会をキャンセルした。
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まるみちゃんの入院先から やっと電話がきた!
診察の結果、明日ご手術のはこびとなり、今週の土曜日には退院しておうちに帰って来られるという。ずっとずっとこの日を待ってた!だけど、同時に たったひとつ 悲しすぎる宣告もあった。手術を受けると 体は元通りげんきになるけど、まるみちゃんの これまでの記憶がぜんぶ 失われてしまう。まるみ星での思い出や まるみちゃんのパパやママのことは、原体験なので記憶に残ったままだけど、我が家にやって来てからの記憶はきれいさっぱり消滅してしまうのだ。
「はやくおうちにかえりたい」という、まるみちゃんのたったひとつのお願いごとがようやく叶うのに、それは 一生叶わない願いとなってしまった。まるみちゃんが かえりたかったおうちは、手術を終えたまるみちゃんには はじめてのおうちになってしまう。まるみちゃんが、まるみ星からはじめてやって来た日と同じように。
ねんねこや、ねこんこや、ドアラちゃんはまだこどもなので、まるみちゃんの記憶が消滅していることなんて、幾ら説明してもぜったいに理解できないだろう。まるで、ドラえもんの最終話みたいにかなしいことだ。野比のび太は ドラえもんが動かないかわりに沢山の思い出も保存することを選んだけど、わたしは思い出をぜんぶ忘れちゃっても、ニコニコ笑顔でげんきに動き回るまるみちゃんがいい。みんなことを忘れてしまっても、まるみちゃんは 何度でもみんなと仲良くなれるし、たのしいおうたもうたってくれる。
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WRもわたしも、やるべきことが日増しに増えて どんどん多忙になってゆく。どういう形であっても、ひととして生きるつもりがある限り わたしたちは死ぬ間際まで働きつづけなくてはいけないし、遊ぶことも眠ることも 労働とは違うけれどもある意味では肉体を酷使することで、とにかく心臓が止まるそのときまで、何らかの運動は続いてゆくので、
運動?他域化して足踏みする運動、冷蔵庫3段目からの無防備な抽出、衒学的である俎上も別に特に構わないわ
此処では 雨粒のひとつひとつに音符をつけてあそんでいる
色とりどりのセキセイインコがひこうき雲を描き、まるみを迎えに昼間でも夜空の大空を飛行
1度目の意識が葬られたこどもたちによる キラキラ星の祭壇が見える
球体の旋律、やわらかなエレクトリック ハンモック バルコニーの空中ブランコ、
舌を噛む意識に 相槌を二度打つ
すべては 期待と落胆の話に過ぎない