ミックスナッツ

秋が深まらない。

わたしもWRも家庭内に滞在する時間が極度に少なくなってしまって、此の頃は余り片付けなくても、部屋が きれい。ゴミも出ない。

不況のせいなのか最近いよいよしごとが暇で、暇ならば暇なりに コソコソ出来る作業もあるにはあるけど、何か とてもとても膨大な時間を浪費している気がしている。たとえそれが親愛の情から来るものであっても、聞きたくない言葉を聞き、言いたくない言葉で返すことも 大変な不毛だ、と思う。わたしの頭の上で展開される無害なやり取りのすべてが そぐわない、と感じる。わたしが興味を惹かれるものは、いつも控え目に、ひっそりとして存在している。それらは わたしが嫌いな喧しくて醜いものたちに、いとも容易く遮られてしまう。会社の志向性についていけない。早かれ遅かれ 此処に居ることを辞めるよりほかないことは知っているけど、それを何時にするかが決められない。ひとたび転がり始めた何かを収束させるのは、やはりとても難しく、また勇気の要ることだ。階段の踊り場から響き渡る、狂騒的なヴァイオリンが喧しい、映画の中の不幸な主人公みたいに、途方もなく間の抜けた事件ばかりが、次々に襲いかかってくるよ!わたし自身が引き寄せてしまった失敗だって、沢山ある。

まるみちゃんや ねこたちと遊ぶ暇もない。まるみちゃんは最近 おとなたちの忙しさを察しているのか、育児放棄されて拗ねることもなく、反対に「ごくろーサマ!」「がんばってるね」と労わりの言葉をかけてくれる。臨床心理士も吃驚の受容の精神、現状肯定の心だ。それに加えて「おかたトントン!」「つぼキュッキュッ!」とまで喋る。実際に トントン肩たたきをして、キュッキュとつぼを押すことはできないので、口で擬音を言っている。たとえ記憶を失っても、まるみちゃんの健気でやさしい心は 宇宙の果てまで フォーエバー!

久々に漱石を読み返したら、粘着質に拍車がかかった。なんで音楽には1つずつ曲名があって、曲名を集めたアルバムには、またひとつ名前をつけなくてはいけないのだろうか。そうしないバンドもいるけど、みんな 圧倒的にそうしている。そのうえ、バンド名にも名前をつける。ツアーにさえも名前をつける。オーケストラは 地名に何々交響楽団、ってつければそれで済むのに、ロックの世界はなまえ、なまえ、なまえなまえなまえだらけだ。バンドマンなんて名前をつけるのが、しごとの大半なんじゃないか?なまえは何でつけるかっていうと、なまえがないと困るからだけど、世界にはすでになまえで溢れかえっているので、自意識過剰が地球の回りを6回くらい回転して、わざと格好悪いなまえをつけたり、名付けという行為に対してメタ的な観点からなまえをつけるひとたちが続出して、ひとしきりそういうひとたちが流行りだしたら 今度は先祖返りするみたいにストレートな気持ちになって、このなまえは、ビートルズの曲名にちなんでつけました、みたいななまえをつけるひとも出てきたりして、とにかく なにをどうしても なまえしかない。朝青龍なんか、離婚したのにあの顔であの鬼迫だからね、どういうひとかさっぱり知らないけど、尊敬する。