あひる使いの夢

秋休み最終日であるはずなのに、自発的に出勤。通勤電車が夢のように空いていて、フロアにも5、6人しかひとがおらず、そして何より不要な電話で作業が中断されない為に、普段 テープ起こしから原稿作成まで2日かかるしごとが1日で済んだ。業務効率を上げる為に沢山のひとが配置されているはずなのに、ひとがいないことで作業がべらぼうに捗ることの不思議。

18時に仕事を終えて、渋谷でお買い物をする。夕食にガレットを食べる。足ツボマッサージに行く。いつもはどんなに足裏を押されてもまったく痛がらないのに、今夜に限っては鉄棒を転がされているみたいに、最初から最後まで物凄くいたい。睡眠不足と、目、肩、首など上半身の疲労を指摘された。でも内臓は驚くほど健康なのだという。そういえば最近胃痛が無い。むかし 一戸建ての巨大なブックファーストだった跡地にH&Mが新しく出来ていたので、ブラウスとミニスカートをご祝儀買い。道玄坂のラブホテル群を通り抜けて、今夜は歩いて家まで帰る。ディズニーランドみたいに安っぽい作りのお城が乱立し、派手な色彩の文字で料金が記されているホテルの看板を横目で見ていると、その最高の下世話さが、酷く心を落ち着かせる。かつて新宿で借りていたマンションも、吉祥寺のアパートも、わたしが住んだ場所は何故か駅の真裏のラブホ街を抜けたところにあって、ひとりで家に帰る帰り道、どんなに猥雑で汚らしい場所を通り抜けようと、家に帰れる幸福を感じた。人間の欲望しかない汚い場所にいると、自分がとてもきれいだと思える。何にも穢されず、平然と此処を通り抜ける自分をきれいだと思う。汚いもののなかにどっぷりと塗れて、それで初めて浄化された気持ちになれる。夜の散歩は愉しい。松見坂で、べスパに乗った男に何やら声を掛けられて、車道沿いに100メートルほど並走されて、その数分間だけは生きた心地がしなかった。今夜の空気は全然秋ではなかったよ。金木犀の香りもしない。目を醒ましたまま ありえない夢を見て、もう起きえない妄想に耽って、もう二度と戻らない過去のある日を何遍も何遍も再生させている。忘れることのない記憶の断片は、わたしの現実に いったいどれほどのものを齎してくれているのだろうか。

帰宅すると、最後の休日を過ごしたWRが ダイニングテーブルで勉強をしていた。わたしの家は、最近いよいよ“家庭”から遥かかけ離れた、別の何かになっている。大学のサークルの溜まり場のような。人間は2人しかいないけど、それぞれが 好きなときに 好きなことを している。約束しなくても此処にいれば誰かに会える、束縛のないそういう場所だ。


WRがNHKで放映していたという あひるレース のドキュメンタリーの話をしてくれた。



・・・あひる使いっていう職業があってね、それが仕事なの。動物園に あひるレース っていうコーナーがあって、そこで働いているひとなの。30歳くらいのあひる使いが主人公なんだけど、3代目なの。おじいさんの代からあひる使いで、今はお父さんと二人であひる使いをやってるの。そのひとは、あひる使いのしごとに全生命をかけてるの。あひるって、何日か雨が降り続くと 毛の色がクリーム色っぽくなって、晴れが続くと真っ白になるんだって。で、テレビカメラに向かって「ホラ!今こんなに真っ白になってるんですよ!!!」とか言って、満面の笑顔で見せてくれたりするの。で、その30歳のあひる使いは 20代の頃とかは「あひる使いなんて、一生こんな職業を続けて俺はいいのか」ってずっと葛藤してたの。で、25歳くらいのときに彼女に振られちゃったんだって。で、その時に、なんで振られたんだろうとか色々自分自身を省みた結果、「俺はずっとあひる使いの職業に迷いがあって、あひると真剣に向き合ってこなかった。そんな中途半端な人間だったから、あひるもそんな俺にはついてこないし、彼女にも見限られたんだ!」という結論を導き出し、それからは寝ても覚めてもあひる一本。あひると、あひるレースのことのみに没頭する人生を送っているの。父親もまだまだ現役で、父を越えることは並大抵のことではないけど、ドキュメンタリーの中で はじめて父に代わってレースを取り仕切った日があって、父を踏み越えていく息子の姿が感動的に描かれていたの。でも、番組のさいごのテロップで、「この」動物園は 残念ながらこの番組収録直後 閉園いたしました」って 出た。・・・


ちょっと観たかった。