ねこのこと見棄てるこ眺めてるねこのこのオクトーバ

夜が震えるくらい肌寒くて、もう秋でだんだんに月の輪郭がくっきりとして、もう10月。まるみちゃんは今朝起きしなに「10がつ はー!ころもがえ と はろーうぃん だよ!!!」と教えてくれた。ねこは もう冬のように朝起きられず、ベッドの上に眠り姿でゴロゴロと散らばっている。

相変わらずの会社勤めは、業務は淡々としていて牧歌的でたのしく、人間の部分では 丸の内オーエルに憧れる田舎者の声のデカさと話のつまらなさが 飽和している。ひとりかふたりを除けばほんとうは嫌いなひとなんていない 嫌いになりようもないひとびとだけれど、わたしの中では 完膚なきまでに 悪貨が良貨を駆逐している だからみんな嫌い。笑えない話で大笑いしているひとたちがわからない。むかしから ずっと わたしはそれがわからないから、何もかもが教室みたいで、だからやっぱり ここに毎日通わなければならないこんな毎日に絶望している。よいことだって、結構あるけど。だけど 会社の中だけで完結している、生温い 旧態然とした 気がきかない 息苦しい世界に 絶望 して いる。

何もわかっていないのに、無意味に表面的にわたしに関して断言されるのがたまらなく不愉快なんだよ 毎日一緒に同じランチを摂取してるからといって、わたしたちは何一つ仲が良いわけではない 寧ろ 一緒に摂取すればするだけ、どんどん別の生き物、別の物質にわたしたちは変容し、乖離してゆく 十年来の友人とか ブログしか知らない顔も知らないひとにそう断言されてもまったく気にもならないことが、あなたたちの口から語られた途端 わたしの身体に虫唾を走らせる それは多分、数々の断片 断片が積み重なって球体になって、その球体の一部を削ぎ落としてこちら側に返される言葉と、単に断片を拾って 得意顔で差し出される言葉の違いで、妙にいらいらする わかってもらえないことなんてとっくの昔にわかっているけど、放っておいてはくれないことに 妙にいらいらする

わかりきってないお話がしたい。

会社の他の世界は快調。鼻歌を口ずさんだそばから すいすいと曲が完成していく音楽家の気分。そうそう、ねこはねこでも、わたしがいっとう好きなのは 空想の中にいる ねこのことだよ。このあいだ、WRが居ない夜ひとりで夕食のパンとスープを食べていたら、ふいに玄関のチャイムが鳴って、ドアを開けると青い真四角の日能研バッグを背負った小学生の3人組が こねこを持って、立ってた。そして「雪さんのお宅ですよね。ねこ 飼って もらえませんか!」と、赤い羽根募金のように 声を揃えてわたしに叫ぶ。だけどやっぱりわたしは 既にわたしの家にいる2人組のねこ人形や、出雲の家にいるりんごちゃんや、空想のねこちゃんたちのお世話で手がいっぱいなので、小学生が持ってきた こねこ なんて、全然要らない。「あたらしい ねこちゃんなんて、要らない!」と答えると、日能研のひとりは 顔をカーッと赤くして俯いてしまい、もうひとりは「ダメだったか、帰ろう」と言い、もうひとりは悔し紛れに「ブース!」と言った。ねんねこ と ねこんこ は、玄関のドアの影から小学生をそうっと覗いて、ヒソヒソ クスクス このやりとりを眺めている。

京都のレストランに行く前に乗ったブランコの楽しかったことを思い出すと 今でもまだ鼻腔にツンと鉄錆の匂いが広がるよ、夜のブランコは楽しい。青空のブランコは 水色のなかに吸い込まれるその直前に、胸がキュっとなって踏みとどまるけど、夜のブランコで近くなる空は コーヒーゼリーみたいに 迫ってくるわたしを弾き返してしまう。

夜にぐっすり眠っているから、全然眠くならないよ、昨夜 WRが「ウシジマくん」の新刊を買ってかえってきてくれて、ああ そうだ 服キチガイの男の生活もラブホの従業員のことも、やっぱりどうしてもまた現実以上に現実のようで、あそこに描かれている世界、コマ送りの風景の移ろいは、人間たちの暮らしに関して、時代と風俗がどれだけ移り変わっても、とてもとても普遍的で根源的な弱さの部分だ ラスコーリニコフと高利貸しだ、やっぱりわたしたちは芥川賞のあとのノーベル文学賞を 「ウシジマくん」の作者にあげたい。


闇金ウシジマくん 16 (ビッグコミックス)

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