バレエ教室の床はすずらんの香水の匂いがする

ザ・フォーク・クルセダーズサディスティック・ミカ・バンド加藤和彦さんがお亡くなりになったと聞いて、愕然。数ヶ月前 しごとの席でお会いしたとき、すらりと伸びた長い足が あまりに素敵で驚きました。WRが早速CD棚から「紀元弐阡年」を取り出して音楽をかけてくれた。吉田拓郎といい、加藤和彦といい、60年代後半から70年代にかけてのフォークシンガーやGSのギターボーカルって 若い頃の姿が ほんとうにほんとうに素敵。わたしはテレビタレントやジャニーズにいっさい興味のないこどもで、男のひとの趣味というのが、3歳の頃から首尾一貫して変わらないまま大人になってしまった。ずっとずっと、ギターを弾いて歌をうたって痩せてて神経質で大人しい24歳の男の子が好き。ご冥福を お祈りします。


紀元弐千年

紀元弐千年

人間なんて

人間なんて


どようびは映画。渋谷で「パリ・オペラ座のすべて」を観る。午前、午後と用事がバタバタと立て込んで、ただでさえ時間に余裕がない状態で家を出たところ 家から20秒の地点でうっかりスペインからの直輸入のレザーブーツを購入してしまい、それを家に置きに戻る、という想定外のハプニングも巻き起こった為、いよいよ映画の時間に遅刻しそうになり、今回の映画はオンラインで既に座席予約とチケット支払いは完了していたものの、上映開始15分前までに窓口でチケットを引き換えないと予約が消滅してしまう上にチケットの払い戻しも不可能という、何かと過酷な条件がそろっていたので、貧乏なわたしは、焦った。焦って渋谷まで疾走した。すると、どんな奇跡が起きたのかわからないけど、家から映画館の窓口まで、12分ジャストで到着してしまった。みんなわたしの見た目から絶対にそうは信じないだろうけど、わたしは わたしの足の速さにほれぼれとした。


ーー祖母の弟が、短距離走でオリンピック日本代表だったんだけど、実は今更ながらわたしにもその遺伝子が息づいていたのだろうか?彼は早稲田の競走部だったんだけど、元々走る為に大学に入ったわけでない、何の変哲もない一般学生で、ある日講義に遅刻しそうになって構内をすごい速さで疾走していたところ、短距離選手としてスカウトされたという。なんて牧歌的な時代なんだろう。そんなこんなでオリンピック日本代表にまでなったのに、その年のオリンピックは戦争で中止になってしまったという不遇のひと。その後20代後半〜30代前半まで重度のアル中となり実家の会社に多大な迷惑を掛け、一旦戻っていた実家からも勘当されて、そこから何をどうやって立ち直ったのかは不明だけど、再び東京に戻ってきて陸上協会や地元の駅伝の世話役をしていた。彼は一昨年だかに亡くなったけど、30代でアル中を克服して以来、死ぬまで一滴のお酒も口にしなかった、らしい。そこそこの真人間が多い一族のなかで、わりと変態の部類に入るひとだったような気がする。このひとのエピソードの 依存症的で極端な面が、とても自分に似ていると感じる。けれど このひとだって、もうこの世にはいないひとだ。死んでしまったのに こうして人生をショートカットでブログに綴られる気持ちって、どんなだろうか。ーー


とにかく、わたしは家から12分で映画館に着いたので、「パリ・オペラ座のすべて」を無事観賞することができた。バレエが好きなので、ダンサーを眺めているのは楽しい。それにわたしはドレスを着て踊る発表会より、日常的なバーレッスンの方が断然大好きだったので、オペラ座のスタジオレッスンが見られるというだけで、もう楽しい。女性ダンサーのレッスン風景は食い入るように眺めてしまうのに、男性が踊るシーンになると、物凄い睡魔に襲われて困った。彼らが古典を踊るときのあのタイツ姿って、いつまでたっても「ズボンを履き忘れたひと」に見える。

この映画はダンスシーンだけではなくて、企業としてのオペラ座を垣間見ることができるのが貴重。わたしはいつまでたっても偽社会人のままだけど、会社のしごととしても プライベートでも、芸術とビジネスということについて、何かと考えさせられる機会が多いので。究極的には、ほんとうに純粋な意味での芸術、余計なものでいっぱいの豪華絢爛な何の役にも立たない芸術の為の芸術なんていうものは、ハプスブルク家みたいなパトロンがいないと成立しないような気がしてしまう。

それから、いつも思うけど、Bunkamuraル・シネマの客層って、都内のどの映画館よりもとんでもない。マナーとかの話ではなくて、マダムでスノッブで怪物的な感じが、わたしにはとても耐え難いよ。60歳のママと30歳の娘が東急の紙袋提げて入場を待っているようなこんな場所は。こんなこと、今更感じてもまったく仕方の無いことなんだけど。



映画を観たあとは、再び道玄坂を猛スピードで駆け下りて、地下鉄で四谷三丁目に移動。WRとテツオと3人でジンギスカン屋で夕食。話題は政局の話、経済の話、文学の話、音楽の話など。全員が自分勝手でマイペースなので、いつもの感じで身勝手に喋って身勝手に飲み、身勝手に羊肉を食べる。テツオは記者なので、以前はタローの裏話が話題の中心だったけど、世の中は流れ流れて今はハト。クルッポー。わたしは、テツオみたいにしごとの持ちネタも少ないので、加藤和彦追悼ということで もうもうと煙を上げるジンギスカンを前に「帰ってきたヨッパライ」を早回しを再現して歌ってあげた。それから、二軒目のバーではひとりだけ店の玄関の外に出て、入口の扉の木枠を額縁に見立てて、ジャズに合わせてふたりの為に舞踏を披露してあげた。WRとテツオは口をポカンと開けて拍手をしてくれた。

にちようびは、午前中に出掛ける用事を済ませて、あとは家の中で掃除、洗濯、お片づけに明け暮れる。近所を散歩する。お勉強から帰ってきたWRとスープカレーを食べて、まるみちゃんと遊んだり、のんびりと過ごす。明日は 待ちに待ったイベントがあるので、週末の夜の憂鬱がない。