ただの雑感

珍しくしごとが忙しい。原稿書きと下訳が同時進行で4本とか。こんなときに限って秘書業務も立て込んでいて、招待状のリストを作ったり、社長取材も数本あったし、挙句の果てにはVIPへの手土産に、幻の大福を買いに走らされたりも。

そんなこんなで迎えた週末。金曜日から日曜日まで、両親と叔父叔母夫婦が娘や息子たちに会う為 東京に来てた。偶然、母の誕生日と日程が重なっていた為に、レストランを予約したり、持ち込みケーキをピックアップしたり、親のお買い物に付き合ったり、週末も都内を縦横無尽に飛び回って大忙し。母方のイトコに久しぶりに会ったけれど、二人とも完膚無きまでの理系男子で 他人に媚を売ったり愛想を振りまいたりするような努力が1bitも無い若者たちなので、話がまったく盛り上がらない。このイトコたちを前にすると、巷では社交能力ゼロと専ら評判であるWRですら、底抜けの明るさと社交力を兼ね備えたリア充に見えた。

最近、家を買ったり 赤ちゃんが産まれたりするひとが 多い。身の回りで 結婚するひとたちがぽつりぽつりと現れはじめたときもそうだったけど、こういうのって、潮が満ちてくるときみたいに、ふと気がつくと、足首まで水が浸食してきている 気がする。わたしは 人間の赤ちゃんがきらいで、ねこや まるみちゃんみたいな子のほうがいい。意思を持って、意味のある言葉を喋って、自立している赤ちゃんがいい。ぺたんこのおなかがバレーボールみたいに日に日に膨れ上がっていくなんて 世にも奇妙なグロテスク。そんな中「僕の小規模な生活」第3巻を読み、妻の出産の顛末が恐ろしすぎて、やはりますますこわいと思った。やっぱり、ねこちゃんたちや まるみや ドアラちゃんのほうがいい。単に可愛いだけの生き物がいい。

駅や舗道で、ふらふら よろよろ と歩行しているおばあさんを見ると、齢を取るのがこわい、って思う。若い女がおばさんになりたくないって思うこととは 違うのかもしれないし 本質的には同じことかもしれないけど。シミやシワが増えることは全然こわくないけど、目が霞んで文字が読めなくなったり、耳が遠くて音楽も聴こえなくなったり、足が悪くて好きな場所に歩いていけなくなることを考えると たまらなくこわい。考えただけで死にたくなっちゃう。

もうすぐ11月も終わり。髪を切らなきゃ。ムーミンカレンダーも買いに行かなきゃ。長患いした思春期の悩みのようなところから、十年掛かりで近頃ようやく足を洗えたようだ。そうすると、次はそうでない類の患い事がすくすくと芽吹く。助けて、と 呼ばれた気がして 右手の中の携帯を握って、この四角い金属の中でしか届かない言葉に愕然とする。朝に点いてたテレビのニュースで、チョコレートのコマーシャルを見た。世の中の 全ての物が、人が、別の何かの代替で、それではじめて存在しているような気がする。どうせなら わたしはうつくしい代替品に なりたい。枯葉がはらはらと落ちてくるけど、今が秋という気はしない。夏もなかったし、冬もこないし、春もない。秋もない。