おたんじょうび過ぎた

12月12日は誕生日でした。普段なかなか会えないともだちからもバースデイメッセージを頂いたりして、とてもとてもとても 嬉しかった!今年のお誕生日ディナーは、WRの今年いちばん忙しい時期と重なってしまい、お店選びも直前まですったもんだした果てに、駆け込み予約で外苑前のRESTAURANT FORESTへ。久しぶりに静かで落ち着ける夕餉の時間が過ごせて幸せでした。

毎年思うけど、誕生日だからといって、また一つ齢をとったなあ、という実感なんて湧くものじゃない。年齢は 身体の細胞が日々 少しずつ少しずつ入れ替わって成長し、老化していくことで、そんなことは誰にも自覚しようがないから、だから誕生日がきたことを 毎年皆で確かめ合わなくてはいけないのです。

会社で過ごす時間が長いので、考えるけど、やっぱり企業というか社会組織は 男のものだと強く思う。例えば専門職に就いていたとして 同じ資格を有する男女が同じように働いたとしても、組織や社会の上に立つ者が男である以上、女は男に選ばれる、選んでもらう存在となる。あたりまえすぎてわざわざ云うまでもないことだけど、やはり美人は得をするということ。面倒な接待や、お門違いの役回りを押し付けられたり、もっと予想だにしないおぞましく嫌な出来事に巻き込まれるリスクも多分にあるのだろうけれど、それを差し引いたって、それでもやっぱり抜群にチャンスを、物品を、寵愛や恩恵を 与えられているようだ。女同士の軋轢のすべての根源は、誰もそうだと意識しないけど、男による女の扱い方の違いに根差していると思える。社会学の話をしたいわけじゃないけど、なんか、なんだか、表面上は皆が「みんな平等」みたいに振舞ってるけど、大切なお歳暮を選ぶときに 味は同じ果物の中から一等見た目がきれいな果実を選ぶみたいに、言葉にされることもないくらいあたりまえに、一目瞭然の断絶がある。社会学みたいな話がしたいわけじゃないんだけど…会社にいると あらゆるレベルにおいて残酷な場面を多々目撃する。可視化されるものも隠匿されているものも。たとえ目に見える公然とした形をしていても、パステルカラーの砂糖で包まれた毒々しいお菓子みたいに 説明の必要さえないほんとうのあたりまえのことは きれいに包み隠されている。清潔で不浄で清潔で不浄できたなくてきれい、目の前の席のアナゴさんに似たおじさん ネクタイの結び目の結界で本能を制御中 会話したくないわたし 目の動きで耳の聴こえない女の子の振りをしている ほんとうは 今すぐにでも 走っておうちにかえりたいのに!


むかしみたいに 月曜や火曜や木曜のお昼に住宅街を散歩していたいので、早かれ遅かれ、いつかは会社を辞めようと夢想。